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Instructions:
ISBN4-08-782567-1
cO979¥roOOE
定価本体1000円十税
...
夢枕獏
Bouter
各ロジロ
ん...
...
榊々の山嶺
作夢枕獏
『〈谷口ジロー
【2016】BESはレイ佐藤始雲
ああ!
作夢枕獏
するという
...
●Chateryuncorkkure
夢枕獏谷口ジロ
谷口ジロ
例えの
かみかみの
わたし...
もうひとつの世帯、谷口ジロー
神々の山嶺漫画版にによせて、夢枕獏
第1話【総未踏峰】
第2話総幻覚の街
第3話【餓狼
第4話【ベ鬼スラ
第5話《初登禁
第6話総孤高の人
第7話総岩稜の風
第8話【申独登寒
第1巻
277.255.21
目次
神々の
...
山嶺
★この作品はフィクンマンです実在の人物
団体・事件などには、いっさい〝関係ありません
3.神々の山樹一第2巻
山がそこにあるからさ!
|G;マロリー
第1話
®未踏峰
フシュ
フシュ
フシュ
1924年6月8日
12時30分
標高8620メート
同日
12時50分
標高7900ヌートル
ハッ
ハッ
おお
これは
...
三葉虫の
化石だ
すごい
これは
おそらく
いや...
美しい
確実に
地球上で最も
高い場所で発見
された化石になる
...信じ
がたいこと
だが
この場所は
かつては海の
底だったのだ
いったい
どのような力や
意志が
気の遠くなるほどの
時間をかけて
海底を
このような高みに
まで押し上げて
しまうのだろう
2月29日
リヴァプールを出てか
すでに3カ月余りが
過ぎていた
ふう
霧がかかって
きたか...
斜面の
上の方は
晴れてる
ようだな
時々
雲の切れ目から
明るみが
見える
この程度の風で
稜線より上が晴れて
いれば条件としては
悪くないな
もう頂上への
最後の登りに
かかっていても
おかしくない時間だ
予定通り
マロリーとアーヴィンが
早朝に第6キャンプを
出ていれば
・オデルは
ノエル・
地質調査員として
この遠征に参加し
世界最高峰への初登頂
という信業は望めなかったが、
彼にはこの人跡未踏の地域を
最初に研究できるという
慰めがあったら
おお
すごい
すごい
こいつは
アンモナイトの
化石じゃないか
彼はあえ
地質調査に
熱中した
カン
カン
ハア
ハア
蒼してな
息は切れるが
それほど体力は
消耗していないぞ
思った
以上に
ハア
ハア
高度順応が
うまくいって
いるのだろう
ふいにオデルは
自分の内部から
熱いものがこみあげて
くるのを感じた
...苦しいような
ハア
ハア
切ないような...
ハア
得体の知れない
感情
ハァ
ハァ
そうか...
やはり
私はあの地球上に
唯ひとつしかない場所
エヴェレストの頂を
自分の足で
踏みたかったのだ
ハア
もし
マロリーカ
自分のバートナーとして
アーヴィンではなく
私を指名してくれた
なら...
私は元気だ
アーヴィンよりも
私の方が
高度順応している
ハア
ハア
ハア
しかし
マロリーは
私を選ばず
酸素呼吸器の
扱いに長けた
アーヴィンを
選んだ...
マロリーだって
そのことは
わかっていたはずだ
ハァ
ああ...
その時ー
突然頭上を覆っていた
雲の一角が割れて
みるみる青い空が
広がっていった
まるで奇蹟のようであった
その頭上にエクテレストの頂身が
そのまばゆい姿を現したのだ
おお!
すばらしい
あ
なんという
天運だろう!
そしてオデルは
そこに一生忘れることのない
ひとつの光景を見ることになる
.....
あれは
マロリー
...?
それじゃ
.....
あれが
アーヴィンか
...
しかし...
それにしても
少し遅いのでは
ないか
おかしい
予定通り
ならもっと
先へ行っている
はずだ
この時間なら
頂上の一歩
手前まで
迫っていても
おかしくない
どうした
というんだ
......?
なにかの
トラブルで
出発が
遅れたのか?
もしかしたら
出発問際か
行動中に
酸素呼吸器が
うまく働か
なかったのかも
しれないな
それとも
登る途中でどこか
クリアするのに
厄介な場所にぶつかって
しまったのか...
しかし
あまりにも
遅すぎるのでは
ないか
時間は...
まだ充分
あるが...
おそらく...
明るいうちに
山頂に登って
...
第6キャンプまで
戻ってくるのが
やっとだろうな
あ...
ああ...
それがノエル・オテルの
ふたりの姿を見た
最後になったのである
1924年6月8日
マロリーとアーヴィン
エヴェレスト初登頂の
謎を残したまま
消息を断った
...
1993年6月
ネパールの首都・カトン
...
ヤスイヨ
チョット
ミルダケ
迷路のように入り組んだ
不思議な街だった
トモダチ
ヤスイヨ
ジュウタン
アルヨ
ヤスイヨ
これが四度目の
カトマンドゥだった
カウ?
その後はいずれも登山隊の
隊員としてやってきた
最初は学生の時
ひとりだったのはその時だけで
深町誠ー40歳
今回も日本からエヴェレストを
落としにやってきた登山隊の
カメラマンというのが深町の立場だった
......今
隊のことを考えると
古い思いが
脳裏をよぎる
シュー
シュー
こちら
私は
えー
これ以上
危険と
思われます
第1次アタック
ここで登頂を
断念したいと
思いますが
了解て
しょうか
どうぞ
わかり
ました
はい
了解
しました
下降
します
下降
します
無理せず
下降して
ください
クスリ
アルヨ
カウ?
ハンシ
マリワナ
ナンデモ
アルヨ
センルビー
カウ?
ヤスイヨ
ホイナ!
いらない
ゴヒヤク
ゴヒャク
ヤスイヨ
あてがあるわけ
ではなかった
7月のモンスーン期
この盆地は雨期に入る
午後になってしばらく
降り続いた雨がやんだ...
たったひとり部屋に
じっとしていたくなかった...
なにも考えたくなかった
深町の目的は
街に迷うことだった
初めての路地を歩く
街の奥へと紛れこんでいく
街の内臓にのみこまれることで...
自分の中にたまっていたものが
消化されていくような気がした
あれ
行きどまりか
...
ここは
なんだ
知らぬまに
タメル街の方に
来てしまってたんだな
タメルはカトマンドゥでも
安宿と登山用具店が
多くある一画である
しかし、登山用具店といっても
新品を扱う店ではない
外国のヒマラヤ遠征隊が
残していった登山用具を安く
仕入れ外国なみの値段で売る
普段は外国の登山隊から
そういう用具を手に入れることが
できる立場にあるシェルバが
そんな店を経営して
いるケースが多かった
“サガルマータ”
...
...
エヴェレスト
カ......
...その店名の
せいたったのだろうか...
深町は何気なく店の中へ
足を踏み入れていた
ナマステ
こんにちは
店内は暗く
そして狭かった
なんだか
不愛想な店の男も
シェルパ族ではなく、
チェトリ族のようだった...
古道具屋の
ようだな...
登山用具店と
いうよりも...
ん!?
ザイルといっしょに本物か偽物が
わからない密教の法具まで置いてある
深町はそのカメラを
どこかで見たような
気かした
コダック社
...
ものがここに...!?
まさか
テイヨ・
キャメラ・デカ
ウノス(カメラ
見せてくれないが
ミルタク?
カウ?
ミル
カンカエル
FSTPO「KET...
AUTOGRAPHC
KODAK..
SPECIAL
WindowsAll.AUTOGHAPICOOEAK-3DFOWL
やっぱり
そうだ
フフラフラ?
おれの記憶に
間違いがなければ
.....こんな
名前だった
カウ?
あ...
ああ...
カティ・バイサ?
いくら
200ドル
タカイ
アリカティ・
サスト・マ・ディ
ノス(もっと安く
ならないか
ココ
ココ
レンズ
ワレテル
ノーノー
アタラシイ
500ドル
レンズワレル
200ドル
150ドル
オーケイ
カウ
アハハハ
深町は『まだ』なに
知らなかった
ニホンノヒト
カイモノ
ジョーズ
このようにすると、そしても
の数日後
名のカメラを
ぐって
深町は
ひとりの男と
出会うことになる
孤高のクライマー羽生辻
登山界の一匹狼として名を馳せ
ヒマラヤで消息を断った
修羅の男との出会いである
第2話
恩幻覚の街
ふう
カチッ
信じられん
な..
どこかの登山隊が
撮影用に持ってきた
とは考えられない
...ファンデス
でも
なんで...
どうして今頃
こんな旧式な
カメラが
あんなところに
わざわざ
こんな古い
カメラを...
カメラ
マニア
なら
まあ...まるで
あり得ないことでは
ないが
深町は待った
もしも
このカメラの件で
日本からの電話を待っていた
...
このカメラが
おれの想像して
いたものなら...
ひとりで
カトマンドゥに
残ったかいが
あったという
ものだな...
しかし...
なぜ...自分は
こんな雨の時期
ひとりでネバールに
残ることにしたのが
すでに仲間は5日前に
日本に帰ってしまっている
4月に日本から
カトマンドゥに到着した時は
七人であった
メンバーがエヴェレストから
戻った時には五人になっていた
遠征は失敗だったー
モンス
アタックがずれこみ
ぎりぎりまで
オーンのこの時期にまで
がんばったあげぐに商店屋の
8500メートルの岩移で
ふたりの隊員が死んだ
高度さえ別にすれば
技術的にはなんでもない
場所だった
えー
こちら
船島
下降します
下降します
それは..
登頂を断念じ
降りてくる最中の
出来事だったと
!
深町は夢中で
シャッダーを押して
ふたりの悲鳴も
聞こえず
表情も見えない
深町はその光景を
十カッド撮っていた
船島のザックの赤が
いつまでも
眼に焼きついていた
忘れようとすればするほど
深町はその光景を
思い出してしまう
今回の登山が特殊で
あったのは、深町を除く
隊員全員が45歳以上である
というその年齢にあった
ある者は医者であり、
ある者はサラリーマンであり、
またある者は不動産屋の
社長であるという人間たちが
世界の最高峰に挑む!
そこにマスコミがのってくる
おもしろみがあったのだが、
結局ー
ふたりの犠牲者を出し
遠征は失敗した
うおれや
工藤さん
ほんとうに
申しわけない
...
...
そうか
じゃあ
元気でな
おれ
半月ほど
こっちに残って
写真集に使う
押さえの分
振ってから
帰ります
ええ
落ちついたら
東京で
杯やろう
それじゃ
...また
日本で
...
自分はなぜ
帰ろうとしないのか...
ぐびっ
ふう
写真集の撮影が残っている
―それが理由だ
おれは東京から逃げて
いるわけじゃない...
深町は自分にそう
言い聞かせようとしていた
もしもし
あ
深町さん?
宮川です
おう
待ってたよ
調べて
くれた?
ええ
調べ
ましたよ
ヴェストボケット
オートグラフィック・
コダック・スペシャル
まちがい
ないです!!
そうか
いや
ありがとう
助かったよ
マロリーが
1924年に
エヴェレストアタックの
時に持っていったのは
この機種ですよ
でー
どうしたんです
深町さん
どうして
そんなこと
知りたがるん
ですか?
なんか
おもしろいネタ
てもあったんじゃ
ないですか?
いやまた
わからないんだ
おもしろい
ネタになるか
どうかは
いやだなあ
なんですか?
教えて
くださいよ
だから
まだ
なんとも言えない
状況なんだ
わざわざ
ネハールから
連絡するなんて
よっぽどのこと
なんてしょ
もう少し
調べてみて
からの話だよ
.....
ほんとだって
またなにか
わからないことが
あったら電話
入れるよ
そうですかあ
...
はっきりしたら
君には一番に
教えるから
それじゃ
楽しみにして
ますからね
ああ
それじゃあ
やっぱり
そうか
これが
本当にマロリーの
カメラなら
どんでも
ないことに
なるぞ
場合に
よっては...
ヒマラヤの登山史が
その根底から大きく
書き換えられることに
なるのかもしれない
してみんし
ではあのね
...
ナマ
ステ
ナマステ
昨日買った
カメラに
ついて
ちょっと
訊きたいん
だが
深町は英語で
話した
もし相手がたどたとしい
会話につきあう気が
あればのことだったが、
メカニックに
なにかトラブルでも
ありましたか?
...!???
英語で店主が答えた
いや
トラブル
じゃない
知りたいことが
あるんだ
あのカメラ
のこと?
そうだ
あのカメラの
以前の持ち主に
ついて訊きたい
ことがある
ほう
誰が売りに
きたのか教えて
もらいたいんだよ
...???..
誰って..
そんなこと
いちいち
覚えて
ませんよ
それにね
...
だって
知ってたって
教えられ
ませんね
そう
でしょう
あの店は
口が軽いという
評判がたったら
品物を持ち込んで
来る人が
いなくなって
しまいますからね
そうか
わかった
ただとは
言わない
礼はする
い...いや
だ...だめ
ですよ!
旦那
金の問題
じゃないん
ですよ
たのむ
しぇー
こりゃあ
おどろいたね
どうも
えへへ
どうやらわたしは
失敗したよう
ですね
昨日の
カメラ
どうだね
教えて
もらえるか
...
あなたに
たったUSBドルで
売ってしまった
こと
わたしの考えていた
よりもずっと
値打ちのあるもの
だったらしい
いや
それはまだ
わからないんだ
だからそれを
知りたいから
あのカメラを
持ち込んだ人間のことを
教えてもらいたいんだ
どうだろうか
教えて
くれないか
旦那ァ
それは
いったい
どういう
カメラなんです?
興味のない
人間には
ただの壊れた
カメラだよ
ほう
だけど
人によっては興味を
もつ人間もいると
いうことですか
旦那のような
...
まあ
そういう
ことかな
うん!
ならば
こうしましょう
旦那の連絡場所
教えてくれ
ませんか?
ちょっと
考えてみて
...
思い出
せることが
あったら
旦那のところに
連絡いれますよ
......
思い出すのに
どれだけの時間が
かかる?
そうですねえ
...
早ければ
今日中に
オーケー
オーケー
わかった
深町は今回の遠征で
利用した旅行代理店
〝正遊トラベル〟の
電話番号と
自分の名を書いた
念のためホテルの名は
ふせておいた
ここへ
電話を
入れてくれ
斉藤という
人間に伝言を入れて
くれれましい
思い出した
とね
なるほど
わかりやすい
ですね
電話代と
手数料だけ
置いとくよ
残りは
思い出して
からだ
深町はその足で
〝正遊トラベル〟に寄った
...
“サガルマータ”
?
...
いや、何でもいいの
ああ
知ってるん
ですか
斉藤さん
マニ・クマール・
チェトリがやってる
店ですよ
あの店
ですか
なにか
あの店で
トラフルでも?
ええ
登山用具から
土産物や法具まで
売ってる店
でしょう?
いえ
そういうわけじゃ
ないんです
実はね
あそこ
登山隊が持ち込む
ものばかりじゃ
ないんですよ
ロRAGON
HANDICRaFTS
ご自信等でくだけのお
1000年ほどからお世話のお
たとえば
ボーターか
登山隊から
ちょろまかした
品物
盗品まで
承知で扱って
ますからね
え!?
盗品?
ええ
いつだったか
...
キャラバン中に
盗まれたフランス隊の
品物があの店に
並んでたんですよ
それを知った
フランス隊と
ひと悶着
ありましてね
気をつけて
くださいよ
深町さん
“サガルマータ”は
あまりいい話を
聞かない店
ですから...
それじゃ
斉藤さん
深町さんなにか
つきあいでも
あるんですか?
あの店と
いえ
いえ
たいした
ことじゃ
ありません
伝言が
あったら
よろしく
タ方までには
ホテルに戻って
ますから
ええ
わかりました
深町はホテルに戻る前に
数軒の本屋をまわった
三軒目の古本屋で「ようやく
目的の本を見つけた
BOOK、SHOP
日はずっとお母さんが...いやいじいじゃ
「TheMysteryof
Malloryandlrvine
トム・ホルツェルと
オードリー・
サルケルドの共著で
マロリーのエヴェレスト
登頂の謎を追求した
かなり突っ込んだ内容の
本だった
おっと!
ふう
部屋に戻った深町はー
ふとザックの中に置いて出た
あのカメラのことが気になった
ん?
不吉な予感が走った
カメラを包んでいたビニール
袋の感触が軽い
恐怖に似た震えが
背を疾り抜けた
られた...!!
くそ!
...マニ..
クマール
あいつが..
おそらく
あいつがやらせた
ことだろう...
カメラを欲しがるものは
今のところマニ・クマール以外
考えられなかった
まさかー深町はあの壊れた
古いカメラが盗まれることなど
考えてもいなかったしかも
ほんの数時間の間に...
しかし:どうしてここが...?
たしかに自分の名は
マニュクマールに告げて
しまっている
ここはカトマンドウだ
深町のような日本人が泊まりそうな
ホテルに片端から電話をしていけば
すぐに場所はわかる
そうすればあとは
どうにでもなる...
ホテルのポーイでもメイドでも
たやすくマニ・クマールの
買収に応じるだろう
こは治安の良い
日本のホテルじゃない
粗末なドイレとシャワーの
ついた安ホテルだ
普段に頼む
こともできるが
...
なんの証拠も
ない...
まず
カメラが出て
くることはない
だろうな...
長い夜だった...
電話もかかってこない
もしも..
マニュクマールがあのカメラを
手に入れたのならまだカメラが
戻ってくるチャンスはある
マニ・クマールは「あの
カメラがどういうものか
わがっていない
あいつはカメラが
欲しいのではない
あのカメラが金になる
と考えたからだ
7月20日
あのカメラをマロリー
結びつけて考える人間は
そう多くないはずだ
...とかれば
マニ・クマールは必ず
連絡をどってくる
うう...
...眠れない
眠れぬまま
見る間は...
うう
自分の心の
内部だった...
そんなに
行きたいんなら
行きなさいよ!
自分の
好きなように
すればいい
じゃない
あなたが勝手に
生きてくれるんなら
私もその方が
ありがたいわ
私も勝手に
していいって
ことでしょ?
疲れるために眠って
いるような気がした
身体がベッドの中に
めり込んでいくー
浅く...泥のような
眠りだった
翌日も朝から雨だった
深町は一日中
ホテルの部屋を
動かなかった
調べる
電話が入ったのは
その日の午後3時
だった
ー雨はやみ
薄く陽が差し始めた
ナマステ
いやあ
連絡
もらえて
よかったよ
そろそろ日本へ
帰らなきゃあ
ならない
もんでね
それ
じゃあ
日本へ?
ええ
連絡をもらえないまま
帰らなきゃならない
のかと気に
なってたんだ
なにか思い出して
くれたのか
お話を
急がなければ
なりませんね
まあ
おかけ下さい
こちらは
ナラダール・
ラゼンドラさんと
いいましてね
実はあの
カメラ
この
ナラダールさんが
うちの店に
持って来て
くれたんです
...
そうですか
私の店によく
掘り出し物を
持って来て
下さる方です
それで?
どういう状況で
あのカメラを手に
入れたのですか
十日ほど前
でしたか...
グルン族
......?
グルン族の男が
あれを私のところへ
持って来たんです
ええ
エヴェレスト街道で
ポーターを
やったりしている
男らしいんですがね
彼がこんなものを
持っているが金に
換えてくれないか
と言って
私に見せて
くれた品物の中に
あのカメラが入って
いたんですよ
その男は
どこでそれを?
もらったと
コータムは
そう言ってました
もらった?
ええ
相手は
あなたと同じ
日本人
だったと...
日本人?
名前は!?
そこまでは
わかりません
コータムは
出稼ぎでね
むこうで仕事に
あぶれて今は
カトマンドゥまで
出てきてポーターを
やってるらしいん
ですがね
その...コータム
という男に
会いたいんだが
どこに住んで
いるんだろう
ちりりりん、じゃないのでも
...
それでも...
また、こんにちはちょっとしていましたが
家は
ポカラですよ
え?
それじゃまだ
カトマンドゥに
いるのか?
たぶん
どこに
いる!?
近くですよ
博奕でも
やってるんじゃ
ないでしょうか
博奕?
出稼ぎのボーター
連中は仕事が
失くなったら村へ
帰りますかわ
たいかいの男は
その前に
儲けた金で
博奕ですよ
どこで!?
いつもと
同じなら
ダルバール広場の
シヴァ・パール
ヴァティ寺院の
軒下でやって
ますよ
そこで
見つから
なかったら
誰かに
コータムは
どこかって
訊ねれば教えて
くれるでしょう
.....ナラタール
ラゼンドラ...
あの男たちは...
なにを企んでいるサ
あまりにあっ
しっかへり読まな
泥棒も増えて
きたようだ
最近
カトマンドゥも
ぶっそうになって
きたな
もし盗まれたものが
お金ではなく
品物なら
私が捜してあげる
ことができる
と思いますよ
うううん...それですよ
盗んだ方は
品物が欲しい
わけじゃない
現金が
欲しいんですよ
盗んだ品物を
現金に換える
そういう
マーケットなら
いくらか心当たりも
ありますしね
場合に
よっては
盗まれたものが
私のこの店に
持ち込まれる
ことも
ありますしね...
...
覚えて
おくよ
...
ここに
コータムは
来てるかい?
あん?
ウター
あっち
ちょっと
失礼
ちょっと
いいかな?
あんた...
コータム
さんか?
コータム
さんは
いろかい?
...
ああ
あんたがナラダール・
ラゼンドラに
売った
カメラの
ことで
訊きたいことか
あるんだが
日本人に
もらったん
だって?
あんた
あの日本人の
知り合いか?
いいや
その日本人の
名前は?
ピカール・サン
ビカーハ・
サン?
日本の
名前は?
知らない
その男
ビカール・サンと
時はれてる
おれの
知ってるのは
その名前だけ
...
ああ
そうだ
いいよ
ははぁ
そういう
そうか!
あんた
あのカメラのこと
知りたいんだな?
だけど..
ここじゃあまずいな
場所を変えた
方がいいな
ぷはぁ
あんたが
どこで
ああ
そりゃあ
いいけど
その前に
おれにも数えて
もらいたいことが
あるんだよ
なにを?
あの古い
ぶっ壊れた
カメラのこと
どんな日本人から
そのカメラをもらった
のか教えてくれないか
そう問われた瞬間
どうして
そんなこと
知りたかるんだ
なにがあるのかい?
深町には
実際が呑み込めた
1.タムという男は
そうか...このコ
あのふたりの男とくるなのだ
この男をつかって自分から
カメラの秘密をさぐろうと
しているのだ
このような
あんなにすんなりと
情報をぐれた理由が
今はっきりと呑み込めた
こちらが先に
訊いたんだ
先に
教えてくれ
これは
言って
からだ
わかった
だから
もらったのさ
それは
訊いた
言えば
あんたも
言うだろう
いらないです。
おれが知りたいのは
ビカール・サンが
どういう人間で
どこに住んでるかた!!
......?
カタ
その時...むっと
獣の臭いが店内に
たちこめたような
気がした
おい
どうした?
ピ...
ピ.....
じ...
ビカール
...
サン!
ビカール・
毒蛇とい
いう男がそこに立っていた
ちょっと
がまいませんか
こちらの人に
話があるん
ですよ
男は言葉を千切るように
ぽつりぼつりとしゃべる
その低い声はまぎれもなく、
日本語だった
ええ
がまいませんよ
もうひとり...:毒蛇のあとに
シェルパ族らしい老人が入ってきた
おい
コータム
おれが
いつ
おまえに
あのカメラをやる
と言った?
...
えへへ
幾らで
売れた?
おまえ今
おもしろい
話をしてた
なあ
...??
3000ルビー
約7、200円
3000...
ずいぶん
値切られた
もん大丈
幾らで
忘れたんだ!?
年季の入ったなめらかな
ネバール語だった
あのカメラと
鈷鈴と仏像で
それっぽちか
よっぽど
あくどい奴の
ところへ売りに
行ったもんだ
だ..
旦那ぁ
“シャクティ”か?
それとも
“サガルマータ”か
フッ
正直だな
おまえは
へっ
うう
か...かんへん
してくださいよ
幾ら
持ってる?
出せよ
マニ・クマール
のところが
おれがおまえの
僕から出す
わけには
いかない
自分で
出すんだ
博奕じゃ
だいぶ稼いだって
いう話じゃないか
ブツ
この男ーー自分は
知っているかもしれない
パカだよおまえは
すぐボカラに
帰っておけば
よかったんだ
深町は記憶の
底をまさぐる
よし
3000
ルピー
きっちりだ
これだけは
返してもらう
ずっと以前:遠くから
見たような気がした...どこかで
さてと
おまえの
盗んだ
ものは
その店にあるん
だろうな?
たぶん
ない
だろうな
...
鈷鈴と仏像の
ことは
わからないか
カメラの方は
“サガルマータ”の
店頭には
並んでないよ
...
...
ヴェストポケット・
オートグラフィック・
コダック・スペシャル
1924年に
売り出された
カメラだ
.....
どうして
...それを?
調べたよ
おれは
深町
あんたが
あのカメラを
持っていたん
だな
...???...
深町はこれまでの
経緯を短く語った
ホテルに置いていたかメラを盗まれたことも
このコータムとマニ・クマールたちが、その
犯人ではないかということまで語った
マロリーという名もエヴェレストの
名前も出さず、深町はその話を終えた
会話はすべて
日本語で行われた
教えて
くれないか
あの
カメラを
この男が盗んだ
らしいがどういう
事情であれを?
......
わかったよ
それで
あんたがここに
いるという
わけだな
...
深町さん
あんた
この春に
エヴェレストに
入っていた日本隊の
メンバーかい?
ああ
ああ
じゃあ
同じ時期
イギリス隊も
ペースキャンプに
入っていたのは
知ってるな
その
とおり
イギリス隊も
失敗したよ
自分たちよりも
5日ほど早く
ペースキャンプから
降りたはずだが
コータムは
イギリス隊の荷を
降ろすため下から
呼んだポーターの
ひとりだよ
ところがこいつは
ペースキャンプに
ついた時には高山病に
やられておかしく
なっていたんだ
だらしない
やつだよ
まったく
それで
おれの知り合いの
シェルバの家の畑を
コータムに順応用の
キャンプとして
貸したんだ
ところが
こいつは
ひと晩で
消えちまった
そこで
仕方がないから
こいつを
サーダー
(シュルバ調)が
下に降ろしたんだよ
そのシェルパの家に
あった仏具の鈷鈴と
仏像そして
あのカメラも
いっしょにな
...
それで
あなたは
どこであの
カメラを?
悪いが
おれの話は
ここまでだ
フフフランスマスコミの
これだって
話しすぎたと
思ってる
人の話に
途中で
割り込んだ
責任があるから
少し話しただけだ
やはり:自分はこの男を
知っている...
しかし:直接会った
男ではない
会ったとしても...どこか
......遠くから見るか
写真で見たことがある
程度だろう...
少し...なんかの記憶の糸が
ほぐれそうになるのを覚えた
とりあえず
今は
カメラがどこに
あるかって
ことだな
どこだ?
コータム
こちらの
人が
おまえを警察に
訴えると言ってるぜ
あ...あれは
マニ・クマールが
ホテルの従業員に
やらせたんだ
おれじゃない
うそを
つくな!
ほ...
ほんとだ!
マニ・クマールに
頼まれたんだ
この日本人がどうして
あのカメラを欲しがって
いるのか聞き出せって
ち...ちかう
おれじゃない
なら
カメラは!?
マニ・クマールの
ところに
あるんだな!!
だ...
だと
思う..
よし!
立て
コーダム
マニ・クマールの
店に行く
これで
買いたい
なにを
ですか?
カメラ
鈷鈴
それから
仏像をね
はて
なにか
手ごろなものでも
ありましたか
あんたが
おれのホテルから
カメラを盗ませたん
じゃないか!!
...
はあ?
おやおや
う...
また
誰かそんな
ことを言ったの
ですかな
知りませんね
なにかの
聞き間違いじゃ
ありませんか
おい
コータム
こいつだ!
く~~~...
おまえがさっき
しゃべったことを
ここでもう一度
言うんだ!!
シェルパの仏具を
盗むのがどういう
ことがわかっておる
のだろうな
シェルパを
怒らせたら
クンプだけではない
どの山城でも
ポーターの
仕事はないと
思うたがよい
ふいにシェルバの老人が
ぼそりと言った
シェルバは、ほぼ全員が
熱心な仏教徒である
彼らは、仏教に対して
具体的な感触の信仰を
日常的に
その胸の種に抱いている
登山においては必ず石の仏塔を建て
そこに聖旗を飾る。そこで叫での
安全と登頂を祈るのである
その精神生活は、シェルバ族の
中心をなしているといってもよい
シェルバ族のどの家にも仏壇があり、
そこには、仏の像や仏画が置かれ
そのほとんどが来世を信じている
もしも
運良く
仕事に
ありついたら
気をつけろ
歩いている最中に
おまえの頭へ
石が落ちて
くるかもしれぬ
もっとも
うっ
え~っと
ぐぐ
足元の岩が
崩れて谷底へ
落ちることになる
力もしれぬ
どなた
ですかな
こちらの方は?
アン・ツェリン
ここで警察の
厄介になって
しまっては
ボーターも
できぬだろうがな
そ...
そんなあ
アンジェリン
深町はその名を
反芻したー
聞いたことのある名だった
アン・ツェリン
はっきりとした記憶が
あるわけではないが、
ヒマラヤの登頂の
歴史の中で見た:
エヴェレストの頂上に2回
8000メートル峰の頂にも
何度か立っている
名ではなかったが
アン・
ツェリン
ククク
さあ
出してくれ
マニ・クマール
こいつと一緒に
警察に行っても
いいんだぜ
あんたが
...あの
ほほう
うれしや
まだこの
老いぼれの名を
知る者がいて
くれたとはな
......
あっ
そうそう
思い出し
ましたよ
今朝初めて
うちに顔を
出した男がね
なにやら
色々と売りに
来ましてね
たしか
今
おっしゃった
品物が混じって
いたかも
しれません
...
どうせ
どこかで盗んできた
ものだろうと
まとめて安く買い
叩いたんですが
あの盗まれた
カメラもね
えへへ
これです
かね
...
どうでしょう
?
この中に
お求めの品が
ありますか
どうか
・PLANETEXPOPIC
EXPのPINE
...なんだよねーーーっ
また
いったいこの男は
何者なのだろう...
あの...
どうですか?
近くで
ビールでも
自分は...いつーどこで
この男を見たのか
すこし話を
させて
もらえませんか
......
話?
ええ
あなたの持って
いるそのカメラに
ついてですよ
あなたは、あのカメラが
どういうカメラか
ご存知なんでしょう
...
それは
1924年の6月に
ジョージ・マロリーが
エヴェレストの
頂上アタックの時に
持って行ったカメラ
です
いや
ちがうな
もっと
正確に
言いましょう
それは
その時マロリーが
持って行ったもの
と同機種です
...
わからんわ
...
いいですか
もしもその
カメラがマロリーの
持っていたもの
だとしたら
これが
何を意味するのか
おわかりでしょう
それはこんな
カトマンドゥの
ような場所で
発見されるもの
じゃない!
それを
あなたは
どこで手に
入れられたの
ですか?
...
もしかして
そのカメラの
第一発見者は
あなたじゃないん
ですか?
たとしたら
どうなんだ
......
あなたが
第一発見者なら
知ってるはずだ
そのカメラの
中のフィルムの
ことを
フィルム...
そうです!!
そのフィルムを
現像できれば
ヒマラヤの登録の
歴史が書き換え
られるかもしれ
ないんですよ
それは
マロリーの
カメラなん
でしょう?
教えて下さい
それをどこで
発見したん
ですか?
...
知らんね
え...
おれは
知らんと
言ってるんだ
そんなこと
おれには
興味がない
ち...ちょっと
待って
ください
これは
大変な発見
なんですよ
いいかあんたにも
マニ・クマールに
言ったのと同じ
ことを言っておく
今日あったことも
このカメラのことも
忘れてしまうことだ
訊かれても
答えるな!
......
...何故?
いいから
忘れろ
それだけだ!!
...
「歩み去る毒蛇が
先足を軽く引き摺りながら歩く
そのリズム...
その左足を見た時
ふいに深町の脳裏に
蘇ってくるものがあっ
待ってくれ!!
あんた
羽生丈二さん
じゃないのか!?
あんた
羽生さん
だろ!?
...一瞬「毒蛇の
皆にびくりと何かが戻り
抜けだように見えた!!
毒蛇はふりかえら
なかった...
羽生丈三」
あの男がいったいどうして
今ネバールにいるのか...
第3話
餓狼
東京
あなたはなくなったら...
ネパールから日本へ帰ってきて
から一週間が過ぎた
それになれて、そして何だって
雑草ヤスレイダエ
深町はこの3日ほどの間、ホテルに
こもってエヴェレストとマロリーに
関する本ばかりを読みふけっている
今―深町の頭の中には
雪をいただいたエヴェレストの
白い岩峰が浮かんでいる
何度か夢にも見た
エヴェレストのピラミッドだった
しかし...自分はこの位置からは
度も肉眼で見たことはなかっ
...それはチベット側からの
頂嶺だった
おそらく...オテルがマロリ
アーヴィンを最後に見た
エヴェレストの姿だったのだろう
しかし
凄い星空だった
深町の脳裏に浮かぶ映像は
夜である
しんとした
...静寂
...ひとりの男が
そのエヴェレストの
雪の稜線を歩いている
ただ黙々と歩いている!...
それがEマロリーであるのか
アーヴィンであるのか
それとも
他の何者であるのか
わからない...
その後
姿を切ない思いで
深町は見つめている
自分はその男に
置いてゆかれたのだ
「まて
「おれを置いてゆくなーっ」
深町にはその男が
山嶺にゆこうとして
いるというより
星の天に帰ろうとしている
かのように見えた
その男が頂に
たどりつけたかどうか
いつも...
それがわかる前に眼が醒める
深町は眼醒めてからも
いったいどういう理由で自分が
そのような夢を見るように
なったのかわからなかった
おそらく...マロリー
のことで、頭が
占められているから
だろうと思う
そこに
山があるからだ...
それは...マロリーが
言った言葉だった
あ...
深町さん
おれです
宮川
今下の
ティールームに
いるけど
降りて
こられるかな
おう
わかった
すぐ行く!!
そうか
...
もう
一週間にも
なるんだなあ
うん
あとは
工藤さんに
会ったきりで
まだ
遠征隊の他の
メンバーとは電話だけで
顔を合わせてないんだ
帰ってすぐ
井岡と船島の
家へ線香を
あげにいったよ
しかし..
もったいないなあ
いい絵が撮れて
いるのに...
本にできないのが
残念だよ
遠征の失敗で
せっかくだから
この中から何枚か
雑誌で使わせて
もらうよ
ああ
昏避社から出版されるはずだった
写真集がキャンセルされた
ところでさあ
なにか
わかったのか?
羽生丈二の
ことなんだ
けどな...
いや...
それがわから
ないんだよ
心あたりのある
人間に何人か
あたってみたんだが
羽生か今どうして
いるか誰もわかっちゃ
いないみたいなんだ
うん
...
なぜ?
わからない
...
もともと
どこか奇妙な
やつだったからなあ
羽生は...
あいつが今
どうしているか
なんて気にしてる
連中が少ないのさ
...
そうか
だけど...
どうして
羽生の行方
なんか捜して
るんだ?
ああ
ちょっとな
...
なんでまた
そんなこと?
本気かい
深町さん?
ああ
本気だ
羽生が
消えたわけを
知りたくてね
だったら
また諦める
ことないよ
おれ
そんなにしつこく
捜しまわった
わけじゃないから
フファッシュネルマスの
ほら
これ
約束した
羽生の写真
グランドジョラスで
事故った
時のやつと
...
うちの雑誌に
戦ったやつの
コピーなんだか
それで
いいか?
ありがとう
助かるよ
あと
工藤さんなら
羽生のこと
知ってる人間
エヴェレスト
遠征の時のやつ
と二枚
教えてくれるん
じゃないか?
ああ
そうだな...
訊いてみる
一枚目の羽生の写真は
三十代の半ばくらいだろうか...
カメラのレンズを
睨んでいる
険しい視線が
カトマンドゥで会った
あの男の眼の光と
似ていた
そして二枚目の写真は
四十代の顔をしていた
視線の険しさは
さらに強くなっていた
不満や憤りが
あからさまに眼の光の中にある
己の胸の裡の濃い感情を
隠し切れずに、カメラを睨む
視線に込めている
滸町には
そんな風に見えた
けっこう
自分勝手な
やつだったらしいよ
羽生は...
だから
山仲間にも
敬遠されて
たんじゃないの
顔は間違いなく四十代の男の
それであるのにどこどなく、
十四・五歳の少年の色気の
ようなものがその写真にはあった
誰も信用しないと
その男の中の少年が
カメラに向かって言っている
そのかわり、誰からも信用
されなくていいと...
己独り
それを強く自分の中に
覚悟した少年が、その写真の
男の内部に積んでいる
...言とも色気とも
つかない凄艶なものが
その表情にはあった
痛々しいものさえ
その写真からは
感じとれた
この男だ!
って出会った
あの日本人
カトマンと
あの男どこの写真の
男は...
同二人物である
やはり、あの男は
羽生丈二であったのだ
深町は伊藤浩一郎を
待っていた
羽生丈二がかつて属して
いた山岳会の会長を
していた男である
工藤英二の紹介で
話を聞けることになった
羽生丈二
今、相談になっているはずだ
深町自身も羽生のことは
まことしやかな場話も含めて
いくつかその耳で聴いたこともある
〝天才クライマー〟
そのような名前で呼ばれた
時期も間違いなくあったが、
日本の登山関係者の間
では。一ノ倉の疫病神”と
しての方が名を知られている
ところが
1985年の
ヒマラヤ遠征隊
からぷっつりと
羽生の名は
登山界からほとんど
聴かれなくなった
その1985年の
エヴェレストで
彼が起こした事件がもとで
登山界から追放された
という噂もある
その羽生丈二が、なぜ
今ネバールにいるのか
彼がいったいどのような
経緯であのカメラを
手に入れたのか:?
あの
あの
深町さん
...ですか?
わたし
伊藤です
遅れて
申しわけ
ない
あ...
いえ
羽生の話を
訊きたいとか
...
これで
...
わざわざ
すみません
でした
はい
はい
たばこ
よろ
しいかな
ええ
あいつ
いつも
切羽つまった
ような山ばかり
やってました
からね
尻に火が
ついてるんじゃ
ないかって
いうような
登り方
でしたよ
あいつの
山って
いうのは...
...??
それで
...
羽生さんは
今どこで
どうしているか
わかりませんか?
それかれえ
わからないん
ですよ
たぶん
深町さんも
ご存知だと
思うんですか
1985年の
エヴェレスト
...
あれ以降は
まったく..
8年前の
あの事件
まではね
なんとなく連絡を
もらったり英霊を
くれたりしてましたから
わかってたん
ですかれえ
生きているのか
......死んで
いるのか...
...たしか
1960年
でしたから
羽生が
...!?
わたしが
...
36歳くらいの
時だったで
しょうか
フフフラフラスラステス
あいついきなり
わたしの自宅まで
おしかけて
来ましてね
はあ
あれは...
入会申し込み
というより
入会させて
ほしいって
言うんです
道場破りに
来たみたい
でしたね
なんだか
顔を赤くしながら
わたしを
睨みつけ
ましてね
こう...
怒ったような
口調で
言うんです
青風山岳会に
入会させて
くれませんか
...!!..
おまえ
どうして
うちの会の
ことを知って
るんだ?
見たから
です!
見た?
何を?
山岳会の
人たちが
歩いているのを
新宿駅で
見ました
でかい
リュックに
「普風山岳会」と
書いてありました
この町田の
住所も...
それを
覚えてました
だから...
それで..
シュッ
ふぅ~
しかし
どうして
うちの会に
入りたいと
思ったんだ?
他人に
馬鹿にされたく
ないからです
...??
誰かに
馬鹿にされて
るのカ?
みんなが
...??
されて
います
なぜだ?
おれに
両親がいない
からです
みんなが
馬鹿にした眼で
おれを見ます
それに...
足も悪い
羽生が
6歳の時
両親が
亡くなったと
言っていました
そのおりに
妹も死んだ
とも
家族一緒で
後来帰りの
バスの事故
だったと...
フフフラス...クラスト
羽生はひとりだけ
生き残って
千葉の伯父の家に
ひきとられた
その時の
後遺症で
ズズー
羽生は歩く時
軽く足を
ひきずるように
なったんです
わからんな
山岳会に
入れば馬鹿に
されないのか?
どうして?
人に
出来ないことを
やるからです
新宿では
みな避けて
通ってました
アハハハ
はい
馬鹿にされる
より
怖がられる
方がいいです
ほう
おまえ
山が好き
なのか?
ありゃあ
むさくるしいおれたちを
怖がってたんだよ
わかりません
...
山の
経験は?
フフフランスタッフステム
少し
で
どこを
やったんだ?
なんという
山だ
わかり
ません...
なに
言ってんだ
わからないことが
あるか
ほんとです
ほんとに
わからないんです
た......たんざわ
丹沢の
どこか
だと
思いますか...
フフフランスタッフの
ほんとうに
こいつは
何を言って
るんだと
思いました
でも
よくよく話を
聞いてみると
羽生は
11歳の時に
ひとりで山に
行ったという
ことでした
7月の夏休みに
入ったばかりの
時...
以前羽生は
伯父の家族と
箱根に行った
ことがあって
その途中
電車の窓から
見えた山に
登ってみることに
したと言って
ましたね
あいつは
町田から
小田急線で
西へ向かい
登山客が
何人かいたので
その後をついて
行ったそうです
山が見える
場所で
降りた
そして
バスを降りた
ところから
歩きはじめ
ました
そのうち
登山客は
すぐにずっと
先へ行って
しまい
羽生は
独りに
なった
独りで
山道を登って
いったのです
もちろん
地図など
持っていない
そこが丹沢山塊と
呼ばれる神奈川県
最大の山系である
ことなど
当時の羽生は
知らなかった
とにかく
上に登っていけば
山の頂上に着く
だろうと
思っていた
ハア
ハア
ハア
ところが
いくら歩いても
頂上に
着かない
ハア
ハア
あと
どのくらい
歩けば
道はあるが
今ほど登山道が
整備されている
時代じゃない
ムシャ
ムシャ
昼食のパンを
食べたあと
頂上に
着くのか
わからなかった
一瞬帰ろうかと
考えたが..
足はまた
自然に上に
向かっていた
ハア
ハア
ハア
途中では
誰とも
会わなかった
日が
茶れて
羽生は
なんの装備も
ないまま
岩陰で野宿した
夜露に
濡れて
眠れなかったが
ひと晩中
飴をなめ
水を飲んで
飢えをしのいで...
朝を
むかえた...
よく見ると
すぐ上が
山の頂上で
そこに
小屋が
あった
あれ
ゆうべは
どうした?
...野宿
おまえ
独り
でか?
なんだ
おまえここまで
来てたのか?
うん
そうか
そりゃあ
えらかったなあ
ほう...
こりゃ
おどろいた
食事は?
お腹すいてるん
じゃないのか?
うん
...
お昼に
パン食べた
だけ...
ハフ
ハフ
ハハハ
うまいか?
モグ
モグ
しかし
よく独りで
ここまで登って
来られた
もんたなあ
うん!
その時11歳の羽生は...
お父さんや
お母さん
知ってるのか
心配してん
じゃないのか
大倉尾根を
通って標高
1490メートルの
塔ノ岳までという
コースを
歩いてたのです
ライフラインスタッフの
大人の足でも
4時間はかかる
道程です
あいつは
その日のうちに
登山客と一緒に
下山して
夕方には
家に帰ったと
言ってました
羽生は
その時
伯父の家に
ひきとられてから
初めて
伯父に叩かれた
そうです
...??
やさしい伯父
だったようですが
だまって家を出て
行ったのが
いけなかった
そんな
体験を
あいつは
ぽつりぼつりと
わたしに
話すんですよ
...楽し
かったからです
...
両親が
亡くなる前...
どうして
独りで
山に行こうと
思ったんだ?
...???おかげさま
家族で
初めて旅行して
行ったのが
山だったから
それで
どうだった
丹沢は?
楽しかった
のか?
でも
...
わかりません
綺麗だった
です...
その時見た
南アルプスの
峰々がとても
綺麗だったと
結局
羽生は
わたしの
一存でしたが
その日のうちに
〝普風山岳会〟に
入会しました
...???...
―夕刻になり
深町たちは河岸を変えた
わたしも現役を
退いてから
もうかれこれ
10年以上にも
なりますかな
あの頃は
うちの会も
先鋭的だった
からねえ
危いところへ
いつも行って
ましたよ
それで
その頃の
羽生丈二は?
ええ
でもこうして
昔の話を
するのも
久しぶりですよ
ほんとに
要領の悪い
やつでしたよ
あいつは
冬場は烏帽子
奥壁変形
チムニー・ルート
冬の北穂高滝谷
冬の鹿島槍北盛
...そういうところへ
日常的に入って
いました
ハッ
ハア
ハア
おい
羽生
ーっ
下の渓で
水汲んできて
くれるかーっ
ハッ
はあ
ハア
はい
なんだ
おまえ
へろへろ
じゃないか
ハア
ハア
先輩!
大丈夫です
おれ行きます
ったく
こんなとこで
へばってんじゃ
ねえぞ
ほれ
おい田代
おまえ
行ってこい
あの頃
...
他の新人と
くらべても
体力が
なかったんですよ
あいつ
はい
へえ
信じられ
ませんね
ええ
そうで
しょうね
休みの時間も
水汲みやら
食事の仕度やらで
休み時間も
なかった
だけど
あいつ
どこへ連れて
行っても
人よりも
重い荷を担いで
一番働いてましたよ
だから
うちの会では
最初にへばって
アゴを出すのは
いつもあいつ
なんです
普通
なら
それだけ働けば
先輩に可愛がられ
るんですかね
羽生はそうじゃなかった
それは...
何故です?
可愛く
なかった
...
ぐびっ
ま...!
ひとことで言えば
そういうこと
ですかね
たとえば...
楽な仕事を
まわしてやろうと
してもそれを
拒否するし
疲れている
羽生を見て
先輩が休ませて
やろうとしても
ハア
ハア
ハァ
でも
結局は
ぶっ倒れて
隊に
迷惑かける
ことが多かった
動きは特に
機敏でもなく
根性だけはあるが
鈍重で
無口な男.....
“平気だ”と
言って
歩き続ける
泣き言だけは
絶対に
言わない
そんなふうに
羽生は周囲から
捉えられて
ましたね
それから
3年目の
夏でしたか...
わたしは
羽生の妙な才能に
気がつきましてね
おい羽生
おまえ
トップを
やってみろ
これまでの
羽生は
トップでこそ
なかったが
はい
わたしと組んで
何度も岩壁の
経験を積んで
いましたからね
わたしの見たところ、
バランスも
よかったし...
その岩壁も初めて
ではなかった
それであいつに
トップをやらせて
みようと
思ったんです
場所は
北穂高の
屏風岩でした
あ...
危ない!!
下から見て
いると思わず
声が出そうに
なってね
あいつ
.....
すぐ横に
安全な
ルートが
あるのに
わざわざ
危険なルートを
選んで登って
いくんです
羽生
おまえ
なに
やってんだ!
はあ?
どうして
あんな登り方
するんだ?
はあ
どうして
あんなコースを
とったんだと
聞いてるんだ
そ...その方が
頂上に近かった
もんスから
バカヤロ!
おまえの
岩は
危ない!
はあ
どうして
ですか...?
おまえは
岩を怖がって
いないからだ!!
はあ
わかるか
羽生
もっと
岩を怖がらなきゃ
いけないんだ
はあ
あいつは...
まだ19歳
でしたし...
危ないとか
危なくないとか
そういう
考えて岩壁を
見ていなかった
どのコースを
たどれば頂に
一番近いか
羽生の頭に
あったのは
そういう選択肢
だけだった
ですねえ
...
しかし
岩っていうのは
あれは...
まぁ一種の
才能なん
ですねえ
ええ
...
やはり..
あの時からじゃ
なかったで
しょうかね
よく
わかります
ぐっ
もう
その頃では
経験はともかく
技術的には
育風山岳会の
精鋭と比べても
遜色がなくなって
いました
つまり青風会の
トップクラスと
肩を並べると
いうことは日本でも
有数のクライマーの
仲間入りをした
ことになる
岩壁登録と
いう分野で
ようやく
羽生の才能が
開花したんです
山に入っても
自然にトップを
やる回数が多く
なりましたしね
それから
2年後
.....
あいつが
21歳ぐらい
でしたか
...
速いな
いい
バランスだ
ルート
選びも
ストレートだ
.....
信じられんな
山で荷を
担がせたら
鈍くさい
やつなのに
岩となると、まるで
違う人間にみえる
あれが
ほんとに
同じ
羽生なのか
...
岩を登る
という
分野には...
カバラン
そういう人間の
岩壁登攀は
速いだけでなく
美しい
流れるような
リズムが
あるんですよ
登教者の
努力だけでは
どうにも
たどりつけない
領域があるんです
ま...
天才だったん
でしょうね
羽生は
...???そりゃそう
これは...
岩を登っていく
羽生の動きは
...
まるで
蝶がね
.....
こう
ひらひらと
岸壁に沿って
登っていくような
感じがありましたよ
羽生が入会して
4年目から5年目
にかけては
ほとんど
取り憑かれたように
岩壁ばかりを
狙ってましたね
1年のうち
250日も
山に入っていたという
伝説の時期が
その頃でした
谷川岳
一ノ倉コップ状
岩壁ー
!
日本の登山界でも
難所といわれる
岩場を次々に
登っていった
衝立岩
正面壁
ハッ
ハッ
それを
羽生は
それから
そこは日本でも
有数の人工登録
ルートかある
最初から
最後まで
トップで登った
流谷や
屏風岩の
難しいルートを
いくつも冬場に
登った
山岳会の
山行には必ず
顔を出しましたね
そして
ボオオオは
そこに居残って
岩にとりつく
ひとつの山行で
山と東京を
往復するより
その方が
安くつく
登山費用は
すべて自前
でしたから
たとえば
ひとりの人間と
一週間
北アルブスの
秘高に入る
一週間後
次のパートナーが
来るまで時間が
あれば荷揚げの
ハイトをして稼ぐ
その人間と酒沢で
別れた後次の
ハートナーガス!!
してくるのを待つ
そしてまた
今度は前回と
違った岩壁をやる
留まれるだけ
山に留まる
それが
羽生の
やり方だった
あいつの頭の中は
山のことだけしか
なかった
山を降りても
帰るべき家の
生活なんてえ
ものはないも
同然だったな
おい
行こう!
え?
なに言ってんだ
もうほとんど
【本ベルート】登る
時間なんてないぞ
それが
どうした
どうせ途中で
引き返す
ことになるよ
それなら
半日くらい
のんびりしようぜ
情けないこと
こうなよ
おまえ
なんのために
山をやって
いるんだ!?
...
時間がなけりゃ
途中まで登るだけで
いいじゃないか!
羽生!
残りは次に
来た時登れば
ししんた
おまえが
行かなきゃ
おれは登れ
ないんだぞ!!
...
おまえ
行こう!
...
そういう
あからさまな
不滅を相手に
ぶつけること
もあった
だから
自然に
羽生と
パートナーを
組もうという
人間の数は
減っていったよ
...
山で半日時間が
空くことがあっても
岩にとりつこう
とした
で
いつだったか
...
羽生の言動に
辟易してしまう
ような出来事が
ありましてね
アハハ
ハハハ
やめとけ
やめとけ
まぁだ
おまえにゃ
三ッ滝ルンゼ
なんか
無理だよ
あれは
背風会の仲間で
飲み会をやった
その二次会
だったと
思う..
なあ木村
なにか?
なあ木村
山でさ
おまえ
だったら
どうする?
しかも
冬山だ
サイル
パートナーと
壁で宙吊りに
なったとしたら
自分が上で
身体には
パートナーの
体重がかかって
いる
自分の体重
だけなら
なんとか脱出は
可能だとする
ところが
ザイルに
パートナーの
体重がかかっていては
身動きがとれない
そのままでは
間違いなく
ふたりとも死ぬ
でもまだ体力の
あるうちにザイルを
切ってパートナーを
落としてしまえば
自分の命は助かる
さあ
どうする?
どうするって
.....もし
相手がおまえ
だったらザイル
切っちゃうかもな
こいつ!
アハハハ
バカいうな
ザイルは
おれたちの
命綱だぞ
なかなか切れる
もんじゃないよ
うん
無理だって
下のやつは
まだ
生きてるんだろ
仲のいい
ハートナーなら
なおさらだぜ
そうだよ
切れないよ
自分が
助かると
わかっていても
切れないよ
あとのこと
考えると
たまんないぜ
おれなら
切れるよ
こう!!
オムレ!!
五才焼
羽生
こうし
しかし
なあ
相手は長年
パートナーを
組んできた
友人だぞ
切れるよ
そのままいれば
ふたりとも死ぬ
ことがわかって
いるのなら
おれは
切るさ
おまえが
下の立場
だったら
どうするんだ?
いいのか?
...
切られても
仕方がないと
思ってるよ
メカ
おれは切る
だから切られても
文句はいわない
そういう時が
あったら
切っても
かまわない
それは
酒のうえでの
戯言から
始まった会話
だったのだがね
あいつ
真顔で
そう
言ったんだよ
ほう
そんなことが
あったんですか
...
あれは...あいつの
本音だった
ような気もする
ふぅ
ほんとに..
何を考えているのか
よく見えない
男でしたよ
あいつは...
...
毒む
昏い眼光を放つ双眸と
濃く髪が浮いたあの頬...
あの双眸の奥に
秘められたものは
いったい
なんだったのか
なぜ羽生は、
カトマンドゥにいるのが
|あのマロリーの
カメラを
あの男はどこで!?
CorrAGE?
深町は羽生の過去を
知ることで胸の中で
振りつづけている答えの
手がかりを見つけ出そうと
てい
羽生丈二
自分はあの男ともう一度
会うことになるかもしれない
...そう予感した
第4話
2鬼スラ
カラオケ
深町は自間する
自分はどうして、もう一度あの男に
会いに行こうとしているのか
深町の脳裏に焼きついている
もうひとつのシーンが蘇ってくる
ふたりの屍体は今も
あの氷河の中にある
山の時間に閉じ込められたまま
一千年か二千年後、氷河の末端に
流れ着くまで、ふたりの肉体は
そこで眠っているのだ
もしここでマロリーのカメラのことも
羽生丈士のことも忘れ去ってしまう
ことにするなら。
自分はもうこれを最後に二度と
山と関わりを持たない生活に
入ってしまうだろう
「そういう予感があった
もしあのカメラを発見
しなければー
もし、羽生丈二と出会う。
ことがなかったなら!
自分は苦い想いを胸に
抱えたまま、ゆっくりと
山とは関係のない
生き方を
選んでゆくことに
なったのだろう
羽生丈二とマロリーのカメラ
繋ぎとめているものであった
「それが今。自分と山とを
羽生丈二が伝説のクライマーとして
その足跡を日本の登山史に刻みつけたのは
190年―羽生が26歳の時である
きっかけは
青風山岳会の
ヒマラヤ遠征
だった
深町は骨風山岳会で羽生と幾度も
ザイルバートナーを組んだことのある
井上真紀夫と会った
背風山岳会では
記念すべき初めての
海外遠征でも
あり
初めての
ヒマラヤでしたね
そうですね
...
うちが
ねらったのは
標高8091
メートルの
アンナフルナ
高度差
3000メートルと
言われる
南壁ルートから
頂上を目指す
予定でした
で...
どうして
その遠征に
羽生は参加
しなかったの
ですか?
できな
かったんです
あいつも
わたしもお金が
なかったんですよ
スポンサーは?
ついていたん
でしょう?
会の運営費
からも資金は
回されましたが
たいした額
ではありません
ええ
それでも
出資額は全体の
費用の5分の1
くらいでしたね
結局、費用の
大半は参加する
隊員が払うことに
なったんです
ひとりあたり
100万
金を用意
できても
4カ月もの休みを
とることができないと
参加できない
という
厳しい条件
でしたね
遠征に参加
できる隊員は
その金を用意できる
人間だけという
ことでした
職場を転々と
変えていた
羽生にとって
その点は
まったく問題は
なかったのですか
ただ
金がなかった
当時
100万という
金額は
年収の
半分近い
額になる
...
羽生はあちこち
かけずり回ったけど
必要な金額の
3分の1もできなかった
結局ーー羽生はこの
アンナブルナ遠征を断念
せざるを得なくなった
とんか
ごく
ごく
羽生は荒れた
ぷはっ
おかしい!!
ぜったいに
まちがってる!
どうして
ですか!?
伊藤さん
金があるからって
なんで素人みたいな
やつまで行けるん
ですか!!
体力も技術も
おれより劣る
やつが行けて
どうして
おれが行け
ないんですか!?
羽生
うちの山岳会に
とっては
絶対に頂上を
落とさなければ
ならない
遠征でしょう
だったら
山内や大野が
行くより
おれが行った
方がいい
あんな連中
行ったって
なにもできゃ
しません!
この遠征は
成功しなけりゃ
意味がないじゃ
ないですか!!
おまえ
自分の言って
いることが
わかってるのか!?
ああ
そのとおりだ
しかしな
羽生...
お...
おれは
技術も
ないのに
羽生!
よさんが!
羽生
本当のことを
言ってるだけ
です
金のある
やつが行ける
のはおかしい
しょうがない
じゃないか
金がないん
だから
山岳会の隊員たちは
そんな羽生の言動に
辟易していたが...
伊藤だけは羽生の山に対する
純粋な気持ちが言わせた言葉
であることを理解していた
ところが
隊が出発する10日ほど前から
羽生は無口になった
酒も飲まなくなり隊の出発準備を
淡々と手伝うようになった
どうなっ
てんだよ
気味
わるいな
わからんわ
あれほど
ムキになってた
やっかさ
いったい
何を考えて
やがるんだ
そしてーー遠征隊が
横浜港から出発した
2月20日の―
...
羽生は
井上真紀夫を
呼び出した
彼もまた
金を用意できず
遠征をあきらめた
仲間だった
IOFFET
結局..
金なんだな
金のあるやつしか
ヨーロッパや
ヒマラヤに行く
ことができない
そうだな...
山ってのは
道楽みたいな
もんだからな
ぐび
なに
言ってんだ
おまえ
そりゃ
ちがうぞ!
おれはこれまで
人生のすべてを
山にかけてきた
......
おれには
山しかない
山での
生活しか
考えられん
...
それなのに
年に50日も
山に入らないやつらが
どうしてヒマラヤに
行くんだ
羽生
...
やっぱり...
無名じゃ
だめなんだ
有名に
ならなけりゃ
有名になれば
スポンサーも
つくし
金も出る
まちがってると
思わんのか
井上!
...???オラララ?
有名に
なるには...
ようするに...
誰もやらなかった
ようなことを
やらなけりゃ
だめなんだ!
おい井上
おい井上
おれと
鬼スラを
やらないか
鬼スラ
...?
そうだ
冬の
鬼スラだ
おまえ
酔っ払っ
てんのか?
........
いや
おれは
正気だ
おれと
サイルを組んで
やらないか
無理だよ
...
......
できるわけない
冬場に
鬼スラを
やるなんてことは
自殺する
ような
もんだ
――鬼スラ
通常ものスラブを始めてこのようには、
鬼でも零れない...鬼ですら死んでしまう岩壁
...
を縮めてそのように呼ぶ...鬼ですら死んでしまう程度
谷川岳の一ノ倉にある叢所中の
難所のスラブがこの鬼スラだった
巨大な一枚の岩壁工
冬場はいたる所に雪が張りつき
垂直に近い氷壁となる
そこはほとんど絶え間なく
上部の雪が落ちてくる
雪崩の巣だった
これまでまともに登録の対象
として考えた人間はいないよ
日本で最も危険な岩壁が
冬の鬼スラだった
だめだな
おれは
死にたく
ない
......
いや!
やれる
行こう!!
あきらめる
わけには
いくかよ
そんなこと
絶対に
いやだ!
...
羽生
きさま
くやしくないのか!!
金のあるやつが
ヒマラヤに行けて
実力のある
おれたちが残される
こんなことに我慢
できるのか!!
おまえ
...
あいつらが
帰ってきた時
だまってヒマラヤの
自慢話を聞いてる
ことができるのか
ヒマラヤより
もっとすごい
ことを
おれたちで
やってやるんだ
......そうですか?
...井上
おまえ..
なんのために
生きて
いるんだ
...
...出へ
行くためじゃ
ないのか
山へ行かない
のなら
死んだも同じだ
ここにいて
死んだように
生きる
くらいなら
山に行って
雪崩で死んだ
方がました
羽生は決して自分この傷みというものに
慣れることができなかった
ぐっ!
家族が死んだこともヒマラヤに
行けなかったことも...そして
その後のエヴェレストにしても
羽生は傷みをいつまでも
覚えていた傷みを忘れて
しまう自分を許さなかった
決して焦そうとしない傷みの中で
子供のようにいやいやをする
それがむしろ「純粋に見える時も
あったという...
だいじょうぶだ
おれは前から
鬼スラのことは
考えてきた
今いきなり
思いつきで
言い出したん
じゃない
いくつかの条件が
合えば絶対に
鬼スラは
不可能じゃない
いいか
井上
どういう
条件だ?
思わず井上は訊いてしまった。
あそこには
冬場に必ず
何度か気温が
上がる日がある
そういう日で
月があって
よく晴れた日の
タ方
翌日
滝沢下部の
ルートから入って
途中でビヴァーク
気温が上がる
前にドームに
たどりついて
しまえばできる
この条件がすべて
そろうまで
ルートの
取りつき地点で
キャンプして
待てばいいんだ
天気が
良ければ
太陽の熱で雪が
溶けて落ちる
雪はみんな
落ちてしまう
そのあと
夜になれば雪は
凍って翌朝まで
落ちてこない
夏場のルートは
何度もおれは
登っている
......
夜でも
雪明りと
ヘッドランプで
なんとか行ける
どうだ
井上
行こう!
羽生の話を聴いてるうち
なんだかできるんじゃないだろうか
―井上はそんな気がした
冬場の鬼スラ
刊至当力
こいつは
勲章もん
だな
ああ
日本の
登山史に
おれたちの
名前が
残るぞ
うん
そうか
行こう
井上!
そうだな
その時、興奮した勢いで、うっかり
返事をしてしまった井上は
翌朝にはもう後悔していた
第5話
初登校
やはり..
羽生には
ゆくのは
やめると
言うつもり
でした
なにしろ
...
冬場の
鬼スラなんて...
正直
考えてもみなかった
壁ですからねえ
...??
ところが
やめると
言い出せない
まま
羽生が
うちの下宿に
やって
きたんです
さっそく
必要なものを
手に入れて
すぐに
出発すると
言うんです
ほんとうに
...
不思議な
やつでしたよ
あいつは
12月25日、谷川岳
一ノ倉_滝沢スラブ
きょうは
壁の状態が
いいぞ
午後2時ーー羽生と井上は滝沢下部
ダイレクトルートに取りつく
よし!
やっつけようぜ
井上!
雪崩が定期的に
起こる
ぷふぅ
う~~っ
前日までに、大きなものは
落ちきっていたが
チリ雪崩はやまない
この日も!
井上真紀夫は
最後の最後まで
やめよう引き返そうと
考えていたという
取りつき点から2時間
滝沢下部を抜ける
その後も羽生は
ビッチを上げる
午後9時40分――滝沢下部デルタより
さらに100メートル
オーバーハングの下に出る
きょうは
ここで
ピヴァークする
ハア
ハア
ここなら
万一雪崩が
出たとしても
巻き込まれる
心配はない
明日の朝
早くに
出発する
あとは
天候次第
だ...
快晴なら
まちがいなく
登れる
2月26日午前8時ーー暗天
しかし...チリ雪崩は間断なく起こる
鬼スラはー
下急峻な氷壁登攀が要求される
―150メートルの雪壁――30メートルの
氷壁――20メートルの雪壁
そして60メートルの水藻が
もっともきつい登攀だった
ハッ
ハッ
その氷湯の上部に黒々とした
オーバーハングがたちはだかる
やはりここまでか
――井上はそう思った
このオーバーハングを
越えたとしても上部で
雪麗におそわれるー危険だ。
あまりに危険すぎる
見ると...
羽生がオーバーハングを
トラバースしている
羽生
このトラパースルートを発見した
羽生の天性の勘が勝因だった。
これが鬼スラ各期初登業の
すべてだった
ハッ
ハッ
その後はチリ雪崩にみまわれ
ながらも雪壁のなかを登る
午後5時10分――羽生と井上は
苦闘の末ドーム壁の楽部バンドへ
到着する
一ノ倉沢滝沢第三スラブ
冬期初登欒ー
井上!
羽生!
とうとう
やったな
おう
やったぞ
おれは
鬼スラを
やっつけたぞ
この時からその後の羽生の伝説が始まってたといってもいい
日本の岩場に残されたビッグネームの最後の難所を羽生が
クリアした名期の営業りに対するる概念を羽生が変えたのである
この後、羽生は次々に日本の困難な岩場のみを
誰よりも短い時間で征服してゆくことになる
6月20日――青風山岳会ヒマラヤ遠征隊が帰国
アンナブルナ登頂は失敗した
山岳会の隊員は無事だったが、
ふたりのシェルバが雪周に襲われ
クレバスに落ちて死んだ
羽生
おまえ
鬼スラ
やったん
だってなあ
ああ
そんな中、羽生と井上の滝沢第三スラブ
冬期初登録の成功が知らされた
よく
生きて帰って
こられたもんだ
ま...無事で
よかった
おめでとう
羽生
まったく
強引だからな
おまえは
とにかく
運が良かっ
たんだな
チリ雪崩には
往生したけど
まぁそれは
初めから
計算してた
から
はい
ありがとう
ございます
伊藤さん
...
いちばん
きつかったのは
F4の氷湯
だったなあ
ええ
天気の
良い日を
狙いました
あそこの
オーバー
ハング
あれを
トラバース
してなきゃ
どうなってたか
わからな
カったなあ
やっぱり
スピード
勝負
でしたね
アハハ
そうだなあ
終わってみれば
おれひとりで
登った
ようなもんかな
へえ
よく
ルートを見つけ
られたな
...
おれが
鬼スラを
登ったんだ
おい
おい
ちょっと
まてよ
羽生
井上の
立場はどう
なるんだよ
おれは
井上が
いなくたって
登ってたよ
結局
ザイルパートナーは
誰でもよかったって
ことですよ
羽生
おまえ何
言ってんだ
こ...この
あいつは...
自分が何を
言ったか
それで
どう人が傷つくか
まるでわかっちゃ
いないんです
まあ...あいつは
ただうれしさの
あまり
思っている
ままのことを
正直に言っただけの
ことでしょうがね
でもわたしには
あいつの言動にね
我慢できなくなって
しまったんです
あの時..
わたしは生命を
賭けたんです
あれは...
そのわたしが
横にいる前で
言うべき言葉
じゃなかった
それで
...
わたしはもう
二度とあいつと
サイルを組む気には
なれなくなって
しまったんです
...???!?
わたしは
もう48歳です
山の現役から
おりて10年...
羽生も..
そろそろ50歳に
なるでしょう
でも..
あいつのことで
ひとつだけ
わかっている
ことか
あるんです
え!?
それは
.....
なんで
しょう?
それはね
......今
あいつがどこに
いるにしろ
生きて
いるなら
現役の
山屋だろうって
ことですよ
必ず山を
やってる
だろうってね
それだけは
確信を持って
言えますよ
生きていれば
ですがね
...
...あいつの中
には...こう
...
うまく言えま
せんが何か
鬼みたいな怖い
ものが棲んでいて
それが山をやめるせ
ないでしょう
......あいつには
他の生き方は
できませんよ
それから4年
冬期の鬼スラを撃った者は、
羽生と井上以外まだ誰もその
凍結した壁をクリアした者はいない
何組かのバーティーが
挑戦したがいずれも
敗退を余儀なくされ
3人がそこで死亡している
その頃ーヨーロッパアルプスの高峰や壁に
日本人クライマーの視線が向き始めていた
時期でもあった
しかし名を挙げたにもかかわらず
羽生の個人的なスポンサーは
現れなかった
1973年
普風山岳会もヒマラヤについて
ヨーロッパアルプスに
遺征隊を出しているが、
やはり羽生は
この遠征にも
金がなくて参加は
見合わせていた
海外だけが
山じゃない
ハア
ハア
ハア
ーそう噂さながらも、羽生の国内での
登山はさらに普烈さを増していった
職場もあいかわらず転々としていた
ー同じ仕事を3カ月以上続ける
こことが羽生にはできなかった
すみませんが
明日から
一週間
休ませて
もらえませんか
なにか
あるのか?
え?
なんだって!?
山です
ああん?
山ァ?
なんだ
そりゃあ
だめだためだ
またひと月も
まともに働いて
ないんだぞ
そうですか
じゃ
やめます
え?
あっさり動めをやめてしまう
喧嘩してやめることもあった
世間でいうまともな社会に
羽生の居場所はなかった
勤めを変えるたびに生活は荒んでいく。
ものだが、羽生の場合は初めから荒んでいた
住むアパートも必要最低限の
部屋しか借りなかった
なんだよ
無茶
いうな
今月は
これ以上
会社を
休めないよ
それが昔から
30歳にいたるまでの
羽生の城であった
仕事を山に
あわせりゃ
いいんだ
おれはずっと
そうして
きたんだぞ
なんだって
都合がつけられ
ないんだ
なら
やめちまえよ
そんな仕事
仕事を山に
あわせられ
ないなら
やめちまえば
いいんだ
羽生...
行こう
羽生は自分と同じことを
時に激しく仲間に強要した
そんな羽生のザイル
パートナーは長続きせず
徐々に現立して行った
羽生丈二30歳ー
海外の山ーー、羽生は誰よりも強く
ヨーロッパアルプスの岩壁や
ヒマラヤの岩峰に焦がれていたが
そのチャンスはなかった
第6話
@孤高の
羽生さんが
いるからです
羽生が
...??
ええ
冬の
鬼スラをやった
羽生さんです
とても
尊敬して
います
すごい人だと
思います
ですから
ぜひ..
1974年4月―当時は歳だった
岸文太郎は青国山岳会に入会した
岸もまた1970年に羽生が
達成した。鬼スラの神話”に
魅せられた人間のひとりだった
おれ
岸文太郎
です
みなさん
よろしくお願い
します
おう
ま...
しっかり
やれよ
あのぉ
羽生さん
あの...
ん?
いつか
鬼スラの話
聞かせてください
羽生の山仲間もぽつりぼつりと
結婚をしはじめ子供もでき
それにつれて危険な岩壁から
少しずつ足を遠のけていく。
そういう時期に岸文太郎が
入会してきた
羽生さーん
羽生
さーん
お茶
入りました
あー
ーっ
そうだな
...
北アルブスの
槍にでも
行くかな
じゃあ
つぎ
どこ行くん
ですか?
この山
終わったら
ズズゥ
お願いします
連れてって
ください
誰かになっかれるーー羽生は
そういうことに慣れていない
岸のやつ
いつまで
もつかなァ
フフ
羽生の
やつも結構
戸惑ってん
じゃないのぉ
なついてくる分だけ羽生が
岸をしごくかたちになった
ハッ
ハハハ
ハッ
たいがいの人間は
羽生の周囲にいることで
精神的に疲れることがある
しかも危険な目にあう
こともあるし
体力的にもしんどい
しかし岸にはそれがまったく
苦にならなかったらしい...
ぷは
ーっ
もう足が
がくがく
ですよお
ハア
ハア
やっぱり
羽生さんは
タフだなあ
アハハ
やだなあ
冗談
きついっすよ
羽生さん
いやなら
やめても
いいんだぞ
羽生は他人に繋り方を教える
タイプではなかった
ところが珍しく
岸には教えた
見てろ
教えるといっても岸の目の前で
勝手に襲ってみせるだけだ
それを見て岸が岩のやり方を
覚えていく
だめだ!
岩によっては左右の足のかけかたで
その登録の難度がかなり違って
くるケースがある
そこは
左足
からだ
ハア
ハア
岸はよく羽生についていった
ハア
羽生もついてくる岸をことさら邪魔に
するわけでもなくむしろふたりの関係は
うまくいっていたと考えてもよい
岸
はい
おまえ
両親が
いないん
だって?
ええ
ぼくが
9歳の時
父が死にました
山で死ん
だんです
冬場の北アルプスに
入っている時
雪崩に巻き込まれ
たのだと聞きました
母は
12歳の時
酒で
死にました
それからは
静岡の伯父の
家から高校に
通って
卒業して
東京に出て
きたんです
3歳下の
妹がいるん
ですが
今...高校に
通っています
...
伯父さんには
感謝して
います
ほんとうに自分の
子供のように
育ててくれました
羽生は自分と似た境遇の
岸に心情的に繋がるものを
感じていたのかもしれない
岸は勘がよかった
岩に対する肉体的な相性がいい
岩星登葬の素質があった
ほう
あいつ
なんとなく
してるな
羽生の
登り方に
ああ
速いな
こうして
遠くから見ると
そっくりだな
2年を過ぎるころになると
セカンドについて身しい岩場なら
羽生のザイルバートナーを
救められるくらいに成長していた
376年12月
なんだ
またやっち
まったのか
まったく
こりない
やったな
おまえは
何度
同じことを
やれば
わかるんだ?
...
阿部にだって
都合があるんだ
そう
あからさまに
非難されりゃあ
誰だって怒るぞ
おまえなあ
阿部に逃げられ
ちまったらもう
誰もおまえと
山へ行ってくれる
ものはいなくなって
しまうんだぞ
わかってる
のか?
でも...
約束したんです
それを
急に
...
はあ
羽生は青風山岳会でも貴重な
ザイルバートナーを失ったし、
ん?
誰だ?
なにしに
来たんだ?
岸です
伊藤さんに
聞きました
阿部さん
のことです
......
バカなこと
言うな
無理だ
北アルプスの
屏風岩だぞ
お願いします
自分を連れ
てって下さい
羽生
さん..
凍りついた
岩の途中で
ビヴァークする
ことにもなる
それに
屏風をやっつけ
たらその足で
北穂の滝谷に
入る
そこでまた
岩にとり
つくんだ
だから
おまえの
体力では
到底無理だ
大丈夫
です
おれ
頑張ります
連れてって
ください
だめだ
夏や秋なら
ともかく
冬の滝谷
だぞ
お願いです
絶対に迷惑
かけませんから
足手まといに
なったら
いつでもぼくを
置いてって
いいです
危なくなったら
サイルを切っても
がまいませんから
結局ーー羽生が折れた
羽生は岸とともに12月の
北アルプスに入っていった
入山日に
取りつきまで入り
200メートルのスラブを塗る
さらにスラブからパンドを左へ
150メートルの経傾斜帯を
越える
一日目ーハング下で
ビヴァーク
少し見なおし
たぞ岸
思った
よりもよく
やってるよ
いやあ
羽生さんの足
ひっぱらないよう
ついていくので
精一杯です
まあ
まだ
初日
だからな
もう
必死ですよ
ズズーッ
おれ...
なんとしても
最後まで
羽生さんに
へばりつこうと
覚悟してきたんです
おれ...こうして
羽生さんのザイル
ハートナーとして
登ること
夢だったんです
正直
言って..
おれ...羽生さんは
日本一のクライマー
だと思っているんです
ま
しっかり
たのむぞ
よせよ
あんまりおれを
かいかぶるんじゃ
ないよ
いいえ
本当です
日本の登山界は
何もわかっちゃ
いない
羽生さんのような
人こそ海外の山に
送るべきなんです
ヨーロッパ
アルフスや
ヒマラヤの山に
羽生さんと登る
ことができたら
おれもう
死んでもいい
おれは山で
死ぬ気なんか
ないぞ
いつまでも
山に登り
つづけたけりゃ
生きるんだ
なにを
バカなことを
言ってんだ
それこそ
岩にかじり
ついてもな
2日目!
入工登装でフェイスを直登後
最大のオーバーハングを越える
ハア
どうだ
岸
ハア
バテ
たか?
いえ
大丈夫です
行けます
よし
あとは
小さなハングが
あるだけだ
あそこを
トラバースぎみに
がぷったカンテを
越す
残りは
150メートル
ほどだ
いいか
しっかり
確保してくれ
はい
最後のオーバーハングを
左ヘトラバースしている
時に起こった
そしてーーそれは...
あああ
!!
おわっ!
わわあ
うっ
うぐぐ
さ...
岸ぃ
...
岸
だいじょうぶ
かー
っ
す...
すみません
岸ー
どうだ
岸ー
はいあがって
こられるか
ーー
うぐ
だ..
ゴホ
だめです
...
か...
壁は...
オーバーハングの
下で宙吊り
状態です
むうう!
つかめ
ません
ぐうう!
...
この体勢で
あいつを
持ち上げるのは
無理だ
ふう
だめだ
...ファン..
自分の体調を
利用して吊り
上げることも
できるか
おそらく...
下のオーバーハングで
ふたりとも
宙吊りになって
しまうだろう
...このままの
状態では
自分の
体力も消耗
してしまうぞ
くそっ
どうしたら
いい...?
羽生は2本のハーケンを
打ち込みひとまずそれに
シュリンゲで自分の身体を
セルフ確保することにした
岸の体重のかかるサイルを
自分の安全帯からはずし
うぐう
うー
そのあと...
もとのハーケンに
カラビナをひっかける
ふう
カチャ!
これでシュリンゲの長さの分
30センチほど岩壁から身体を
離し自由に動くことができる
この作業はかなりの腕力が必要
だったが、羽生はそうれをやってのけた
羽生は下をのぞき込むー
岸の身体が少しだけ見えた
恐るべき高度感下
岸ーー
今セルフ確保
したぞー
ーっ
どうだー
プルージックで
登ることは
できるかー
!?
うう
弱々しい声が届く
だ...
だめです
.....
もしかしたらーー岸のケガは
思ったよりひどいのではないか
岸は30メートルの距離を落下した
その落下速度からくる衝撃度は
激しく腰の安全帯にそのすべての
重力がかかる
ゴフッ
左腕が
動きません
...???
なんだか
その衝撃は、岸の
内臓や背骨にかなりの
ダメージを与えている
と思われた
わかった
もう
しゃべるな
...
はずれて
しまったので
しょうか
ハア
ハッ
ハア
い...息も
苦しくて
ハッ
そのまま...:一時間が過ぎた
まわりに人影は見えない
今...この広い天地には
羽生と岸しかいない
.....この
ままだと
おれも
岸も死ぬ
おーい
岸ー
起きてる
かーーっ
眠るんじゃ
ないぞー
駄目だとわかっていても
岸に声をかけ続けて
やらなければならない
...
羽生さん
ん?
...お願いが
あります...
なんだ
ーっ!?
ザイル
あの
.....
ザイル
ゴホッ
...!???
切って
ください
バカヤローッ
.....
すみません
すみません
...
羽生は途方にくれた
岸をここに置き去りにして
救けを呼ぶにしても
ザイルは必要だった...
2メートルも引き上げる
ことはできなかった
うう
岸
起きてるか
!
岸ー
ーっ
何度かザイルを持って
岸を引き上げようとしたが、
返事を
しろー
岸の返事が弱くなっていく。
岸
は...
はい
頻繁にかわしていた音楽も
次第にとぎれどぎれになっていく
2時間経過
岩盤に吊るされたふたりに寒気が
容赦なく襲いかかってくる
一時がのろのろと
経過していく...
してきた
|羽生も消耗
フッ
フッ
フッ
フッ
.....
岸...
おーい
ーっ
岸ー
返事をしろ
っ
岸
っ!!
きし
崖下をのぞきこんでみるが
岸の姿が見えない
羽生は必死で
ザイルをたぐる
ザイルがゆらゆらと
風に舞っていた
...
...?
まさか...
ザイルの切れ目に岩で
擦り切れた跡が残っていた
...
岸が
落ちた!?
キャン
きし
いい
羽生は登った
ハア
居風の頭まで登りきる
ハア
消耗しきった身体を
精神力で支える単独行
その後、夏場の登山道を下り、
岸の落下したあたりをさまよう
そこに羽生はあまりに
無惨な屍体を見つけた
ハフッ
ハフッ
そして...その日の夕刻
ど...
どうしたんだ
切れたんです
岩の角に
あたって
羽生は岸の屍体を
背負って、徳沢小屋まで
もとってきた
そうだよねえちゃああ
...
ザイルが
サイルか
.....
それで
...
切れたん
です...
事故―そういう
ことになった
羽生は警察にも
青風山岳会の連中にも
同じ話をした
念のためザイルの切れた
箇所が調べられたが
そこには岩に擦られて
切れた跡が残っていた
この事故から一カ月後
羽生は青風山岳会をやめている
ーー。あれは羽生が
切ったんじゃないか!!
誰からともなくー
普風山岳会にそういう噂が流れた
”おれなら切り
ますよ!!
羽生ははっきりと、そう
口にしたことがあった。
あいつなら
やりかねんさ
しかしな
サイルの切り口は
岩で擦り
切れたもの
だって...
そんなこと
あとで
いくらでも
細工できる
じゃないか
むろん本気ではないが
〝あの羽生ならー
そんな時話にリアルな感触の響きが
こもってしまうのはその話題の主が
羽生丈二であったからだった
の時期
そして
ひとりの天才クライマーが
頭角を現してきてい
長谷常雄である
羽生よりも3歳若い!
単独型のクライマーだった
1969年-22歳の時に明星山
南壁右フェース・ルートを初登し
翌1970年の2月
羽生がやった鬼スラのルートの近く
合川岳一ノ倉沢滝沢ルンゼ状
スラブの冬期初登をやっている
はっ
はっ
はっ
鬼スラよりも
難度は劣るが、
長谷が凄かったのは
このルートを単独で登った
ことであった
第7話
8岩稜の風
当時
長谷常雄のごとを
羽生丈二はどれだけ
意識していたのか
羽生より3歳若い
だけだが...
長谷は新しい世代に属する
クライマーである
羽生はそのような目で
長谷を眺めていたの
ではないか
その才能も実力も
長谷と羽生はあまり
変わらない
...
ただ、明確な
違いがひとつだけ
あった
なによりも
その個性であり性格であった
そしておそらく
ふたりが有している運命までも
違っていたのである
羽生が常に暗いものを周囲に
まとありつかせているのにくらべ
長谷はその性格も登山のスタイルも
風のようなさわやかさがあった
「あの男がど
持っていて
今「ネパールに
いう過去を
もともとは、現在、羽生が
どうしているかを探るために
始めた調査だったが
取材してゆくうちにと
羽生丈二という男そのものに
深町は強い興味を抱くように
なってしまっていた
そうですね
1時間くらい
でしたら
時間はとれると
思いますが
深町は井上真紀夫の紹介で
“グランドジョラスへの多田勝彦
に取材を申し入れた
『グランドショラスは昭和40年代
初めの創業で現在では日本の
本格的な登山用具メーカーである
多田は青風山岳会を辞めた
あとの羽生のことを一番よく知っ
ている人物だということだった
深町は指定された五反田の
本社ビルで多田と会った
お前
ええ
そうですよ
私が羽生を
うちの社の最初の
テスターとして
引っ張ったんです
彼の立場は
社員ではなく
フリーでした
けどね
どうぞ
フフフラフランスラス
あ
すみま
せん
わざ
わざ
いいえ
もともとが
山屋ですから
なんでも自分でやる
癖がついちゃって
るんですよ
スキーとかアウトドアの
プームでこの3年
カヌーとかも出始め
たんですが
山の人間としては
少し淋しいですよ
はあ
それじゃ
今は..
山へ
行く人間が
減ったのですか
ええ
テントや他の
道具にしても
出るのはファミリー
タイプのものが
多くてね
ガスコンロに
しても
別にそれを
背負って山の上
まで運ぼうって
わけじゃありま
せんから
車に積める
程度であれば
それで充分と
いうことで
ことさら小さく
したり軽く
しなくても
いいんですよ
ま今どき
重い荷を
背負って
ただ黙々と
頂上まで歩いて
いこうという人間は
めったにいませんから
たしか
1977年だったと
思いますよ
羽生がうちに
来たのは
...
青風山岳会を
例の.....
ザイルが切れた
件でやめた後
だったと思います
羽生が仕事を
探しているという
のを人ってに
聴いたんですよ
それで
私が
羽生に
連絡して
会ったんです
それまでに
多田さんは
羽生に
会われた
ことは?
ええ
何度か
メーカー便も
あの鬼スラの
羽生だったらと
いうことで
すぐにOKは
でました
羽生の仕事は
〝グランドジョラス〟で
製作中の新製品が
商品化される前
現場でそれを
使用してあれこれと
意見を述べる
ことです
羽生丈二は岸文太郎の死後
青風山岳会を辞めた後、
単独行を好むようになった
長谷が次々に国内の
主だった岩壁を征服しし
やがてヨーロッパ・アルブスの
壁にその主戦場を移して
いったのに比べ
羽生は相変わらず国内の岩に
とりついていった
どうですか
羽生さん
ひき受けて
もらえま
せんか
あと...
テスター
以外に
ですね
メーカー主催の
アウトドアの
イベントに
参加してもらい
たいんです
悪くは
ない話
だと思い
ますが
...
そこで
参加者に岩や
山の技術を教えて
ほしいのです
まどちらにしても
いつでもあるという
仕事ではありま
せんので
"グランドジョラス"の
製品を扱っている
登山用具店の
販売アドバイザーも
やっていただき
たいんです
店員として
登山用具を
買いに来た客の
相談にのったり
場合によっては
カイドをする
ようなことも
どうで
しょう
...
はあ
客の登山計画の
アドバイスを
したり...
やって
いただけ
ますか?
いつでも仕事を休んで
山へ入ってもいいー
この条件が羽生の
長期間の動めを
可能にした
この。グランドジョラス〟でのテスターの
仕事はほんの何年かもっただけだが
それでも。岳水館くという登山用具店
でのアドバイザーという仕事は
結局ヒマラヤ事件までの
8年間続くことになる
ところが
不思議なことに
この時期
かなりの目数を羽生は
仕事のために使った
山にはあいがわらず
現役の登山家として
入っていたのだが
以前のように生活を捨ててまで
というような登り方をしなくなった
1977年夏
羽生は初めて海外の山に登った
この時は
単独ではない
羽生が33歳
多田が37歳
羽生よりも4歳年上の
多田自身が一緒だった
この時ーひと夏の間に
3つの壁を塗った
アイガー北壁
...
やはり
天才というん
ですかねぇ
マッターホルン北壁ー
さすがに
羽生の
登り方は
みごと
でしたよ
グランドジョラスのウォーカー表
岩壁で
迷わないんです
迷うんです
いや...
それは正確な
いい方じゃ
ないな
しかし
迷うとあいつは
決断してしま
うんです
難しい
ところに手を
伸ばしてしまう
まるで
...
岩を怖れた
自分に腹立て
罰を与えるみたいに
その難しい岩場に
手を出してしまう
そして
そこをクリア
してしまうん
です
やっぱり
普通の感覚では
理解できない
ところが
ありましたよ
たとえば?
どういう
ところ
ですか?
たしかに...
妙なやつでしたよ
羽生は...
ええ
あれは...
その3つの壁を
やった後のこと
だったんですがね
最後の
ウォーカー稜が
終わったあと
んぐ
んぐ
んぐ
レショ小屋で
あいつとビールで
乾杯してたん
ですよ
ぷはっ
うまーい
なんとも
これほど充実
した気分は
はじめてだよ
なにしろ
アルフスの
三大北壁
だからな
そうですか
それでも
こんなの
カスみたいな
もんですよ
え!?
カス
......の?
ええ
夏場に
どれだけの壁を
やったって
たいしたこと
ないですよ
やっぱり
冬の北壁
ですよ
初めてのこと
やらなきゃ
意味ない
ですよ
ぐびっ
フフフラフラスラステス
はじめはね
羽生が冗談を
言ってるのかと
思いましたよ
だけど
本気でした
彼がどう
思おうと
自由です
でもそれは今
三大北壁を一緒に
やり終えたばかりの
相手に向かって
言う言葉じゃない
...
しかもその時は
新製品の試験を
兼ねた登山で
わたしたちの
費用は〝グランド
ジョラス〟から出ている
あれはそういう時に
言う言葉じゃないですよ
彼が
長谷の
ことを
ま今に
して思えば
それだけ
強く意識して
いたってことだと
思うんですがね
私もようやく
羽生がバートナーを
なくした原因が
理解できましたね
...
1977年
羽生と多田より5カ月ほど前
ハッ
ハッ
ハッ
長谷常雄が単独で
マッターホルシの北壁に挑み
頂上に立っていたのである
ハッ
冬場しかも単独で
マッターホルンの北海だったというのは
むろん世界で初めてのことである
これが長谷常雄の名を
日本と言う舞台から世界と言っ舞谷へ
おしあげるきっかけとなったのだった。
第8話
®単独登攀
アイガー北壁
長谷常雄はマッターホルンの翌年
11978年3月
アイガー北壁の単独登業に挑む
ハッ
|単独登攀
ハツ
氷壁やロッククライミングの
通常の方法はふたり以上が
ザイルを組んで行うが、
単独の場合
その2倍から3倍
いや4倍以上の体力と
精神力が必要とされる
テントやガスコンロ・ハーケン・カラビナ・
ザイルなどの登山用具は
ふたりで行く場合もひとりの
場合も持って行く量・個数は
基本的にほとんど変わらない
単独の場合、そのすべての
重量を自分の力で
上げなければならない
壁を撃る場合
まず空身で撃ることになる
そして上に襲ってから
懸垂下降でもとの
位置に降り
ふう
ハァ
そこで荷物を背負って再び
同じ壁を塗っていくことになる
つまり同じ壁を2度
曇ることになる
ハア
翠って下り
下って撃る
ザイルのトップとラストと
ふたり分をひとりでやる
繋る距離と高度は
2倍になるのだ
しかも高所での
ビヴァーク装備を省く
わけにはいかない
頂上までの繰り下りを刻みながら...
往復する激烈な数日を生き抜く
ギリギリの量だった
ズズゥ
結局食糧削減で
つじつまをあわせる
それが
単独登攀である
3日目のビヴァーク地点
はあ
ふう
はあ
はあ
いかんな
思ったよりも
体力の消耗が
はげしい
もう少し
荷を軽くする
しかない
岩用の
ハークンと
予備の
アイゼンと
ナッツは
いらない
あとは
食糧を
もっと
切り詰めるか
長谷はほぼ6キロの重量分を
ピヴァーク地点に放棄した
食糧と燃料も余分と
判断した分を捨てる
4日目
気温は日中でも
マイナス10度から20度
ハンマーを打つ手の指が
壁にあたって傷つき裂けた
ぐぐ
それでも打つ
遅々とした
登録になる
出血は激しくなり
皮膚はえぐれ骨まで
及びそうになる
やむなく、左手で打つが
力が入り切らない
夜はマイナス30度
岩に吊り下がった
ハンモックでは眠れず
幻聴を聞く
夜どおし、夢とも
幻覚ともつかぬものが
現れたり去ったりする
そして
16日目
傷ついた右手を
テーブで巻く
食事はボタージュ・スープに
乾燥米を入れたものと
紅茶ですませる
ハフ
ハフ
いいぞ
好天に恵まれた
これなら
いける!
ハッ
ハッ
あ.....
ふう
長谷は傷ついた右手から
左手ヘアイス・バイルを
持ち変えようとした時
不覚にもアイス・
バイルを落とす
その後はハンマーで
ハーケンを打ち込み
アイス・ビッケルで禁る
能率の悪い登攀がつづく...
「クモ」を越え!
しかし岩にはうっすらと
ガラスのような氷が
ついていた
ようやく、頂上へ抜ける
割れ目」を見つける
逸る気持ちを
おさえ慎重に疑る
2時間かけて
割れ目を通過
そして
頂上雪田へ出た
これで長谷は完全に
世界の登山界の籠児となった
1978年3月9日
長谷常雄はマッターホルンにつつき
世界初のアイガー北壁
単独登攀を果たした
長谷さん
おめでとう
ございます
これでとうとう
次の目標が見えて
きましたね
残るは
グランドジョラス
だけとなりまし
たが
どうで
しょう?
ええ
もちろん
ここまで
きたからには
やるしかない
でしょうね
そして
グランドジョラス
ウォーカー移
最初の年が
マッターホルン
次の年が
アイガー
この三大北盤を
冬場にひとりの
人間が単独登録
してしまうと
いうのは
世界の登山史
にも類のない
快華だと
思われますが
ええ
成功することが
できれば日本人の
クライマーが世界の
登山史に名を残す
ことができるでしょう
歴史的に遅れて
ヨーロッパアルプスに
入った日本人には
とても厳しい
条件ばかりです
初ものとして
残されている場所は
どれも極めて難度の
高い危険な壁
ばかりです
このグランドジョラスの
ウォーカー稜は
ヨーロッパアルプスに
残された最後の
大きな壁と
言ってもいい
この壁を塗る
ことはそのまま
ヨーロッパアルプスの
登山虫の最終ページを
閉じることに
なるでしょう
できれば
その歴史的
ページに名を
残したいと
考えています
可能性
は!?
もちろん
あります!
どうか
みなさん
ご協力のほど
よろしくお願い
します
グランドジョラス・ウォーカー側移
これまで何人ものクライマーを
拒みつづけてきた壁である
冬期ー気温マイナズ加度から30度
強風とともに吹雪がただきつけてくる
"人を食う壁〟ーーそれが
グランドジョラスの北壁である
たしかに
あの壁は
長谷ならずとも
多くのクライマーが
狙っていました
しかし
現実問題
として
危険度が
桁違いに大きく
手を出しかねていた
登録でした
長谷が
やろうとして
いるなら
それなら
おれが先に
ま...
あの長谷が
やるなら
しかたがないか
キャラチャラキラ
...!?..
そう考えても
現実にはやれる
ものではない
それが
日本だけでなく
世界の登山家たちの
考えだったのじゃ
ないかと思います
ところが
ひとりだけ
それを受け入れ
られない男が
いたんです
ええ
そうです
羽生です
それが
...
羽生丈二
だったんですね
しかし
なんでそこまで
羽生は長谷の
ことを意識して
いたんですか?
鬼スラ
ですよ
長谷が鬼スラを
やったという話は
ご存知ですよね
あの三大北壁を
はじめた年
でしたか...
羽生のやった
鬼スラを
撃ったと
鬼スラ
...?
ええ
知ってます
ええ
そうです
あとになって
考えて
みれば
結局その年にやった
マッターホルンの
冬期単独登攀を
睨んでのことだった
わけですからね
それで...長谷が
やった鬼スラが
羽生にはショックだった
わけですか
おそらくね
......
ズズ
カチャ
あなたは
...
長谷が
鬼スラを
やる前に羽生に
相談したことを
知ってますか?
はあ?
そんな
ことが
あったんですか?
それは
いつ?
そうですね
あれは
ちょうど
あの屏風岩の
事件の翌年
いや
というより
...同じ冬の
一月でしたね
羽生がパグランドンョラス〟のテスターを
やることにきまり多田とふたりで
渋谷の居酒屋で飲んでいた時だった
おそらく
登山靴の
新製品のテストに
なると思います
ソールの
硬軟に
ついてとか
インナーの
素材の選択
などです
あの
失礼ですが
羽生さんじゃ
ありませんが
...???!?
ああ
そうだが
自分は
長谷と
いいます
長谷常雄
です
ああ
よかった
やっぱり
間違い
なかった
長谷...!
長谷...
羽生丈二と長谷常雄
これがふたりの天才クライマ
出会いだった
!
ああ
あの
長谷くんが
滝沢ルンゼの
スラブを
独りで
やったという
長谷くんだな
ああ
あんたが
昭和45年だったかな
エヴェレストでの
活躍も
耳にしてるよ
はあ
ありがとう
ございます
どうですか
ちょっと
長谷のくったくのない笑顔に
思わずめったに笑わない羽生が
笑みを浮かべた
座りま
せんか
そうですか
それじゃあ
遠慮なく
どうぞ
どうぞ
長谷はまるで体温というより
陽光のような温度をもった男だった。
あらためて
三人が自己紹介を
したあと
じゃあ
こちらへ
いやあ
ほんとに
自分は運がいい
こんなところで
羽生さんに
会えるなんて
実は
羽生さんに
ぜひ鬼スラの
話をうかがい
だかったんです
鬼スラ
の?
ええ
あれだけの壁は
日本にはちょっとへ
他にはありま
せん
ヨーロッパアルプス
にだっていくつも
あるってわけじゃ
ありません
...???...?
1970年に
滝沢ルンゼ状
スラブを
やった時
ちょっと
鬼スラを眺め
たんですか
震えました
......!?
凄かったです
とてもほくの
手に負えないと
思いましたね
ぐび
こんなところを
攀った羽生さんと
いう人はどんな人が
と思いましたよ
いやぁ
あの時は
すべての条件に
恵まれてたんだ
そう
ですかあ
それで...
どうでしたか
鬼スラの壁は?
そうだなあ
ただ...
運がよかった
こけたよ
やっぱり
いちばん問題なのは
天候だと思う
ええ
あとは
ルートをどれだけ
早く読んで
どう迷わず
岩にとりつくかと
いうことだよ
はあ
羽生さんは
どのあたりで
ビヴァークを?
あの時は
雪崩を
避けるために
登攀中は
チリ
雪崩が
しょっちゅう
起こる
でも
こいつは
我慢だ
ええ
F1の30メートルの
氷壁にある
ハングの下で
ビヴァークしたよ
雪崩の危険の
あるルンゼは
スピードが要求
される登攀に
なった
なるほど
それで
唯一の難所
だったというF4の
氷瀑はどうやって?
あのハング帯の
直登は危険
すぎるな
長谷が訊ねると
羽生が答える
...
驚いたことに羽生は鬼スラに取りついて
挙りきるまでの自分の一挙手一投足を
おそろしく正確に記憶していた
へたすると
雪崩に
巻き込まれる
可能性が大きい
F4のオーバー
ハングを
トラバースして
その右上部へ
抜けるのが確実だ
ハングの右端を
めいっぱい
伸ばす
羽生はその時の自分の動きまで
やってみたりもした
ハングの
上に出たら
右へ
登ると
その上は
50メートルほどの
氷壁がつづいて
いる
そこに
5ミリほどの
ホールドがみつかる
あと...
FGを越えた
最後の氷盤が
スラブ内より
危険な
ように
思うんですか
いやあ
ほんとに
ありがとう
ございました
ああ
あそこは
チリ雪崩さえ
我慢すれば
いけるんじゃ
ないか
そうですか
ええ
大変
参考に
なりました
鬼スラを
やるのか?
明日
明日?
1970年に羽生が井上と共に
鬼スラをやって以来、まだ誰もその
鬼スラを成功させた者はいない
はい
明日
谷川に入ります
不安はないのか
この男は...:?
その時多田は
そう思ったという
怖くはない
ですか?
クク...
なぜですかねえ
怖いから
怖いとこ
ばっかり
行っちゃう
みたいで
ええ
そりゃあ
怖いですよ
パートナー
は?
はあ
独り
なんです
ハハハ
誰です?
独り?
自分は
独り
なんですよ
ええ
いつも
れまで何人も死者を出し
では攀ろうと考える者さえ
なくなってしまった冬の鬼スラ。
それじゃあ
羽生さん
ありがとう
ございました
ああ
長谷常雄は
そこに明日から入る男の
ようには見えなかった
C|結局
ハッ
ハッ
ハッ
ハッ
ハッ
ふう
長谷は単独で鬼スラを
撃った!
それから
一ヵ月後
でしたね
鬼スラは
長谷にとって
マッターホルンの
単なる前哨戦
だったわけですよ
...
あれは羽生に
とってはかなり
ショックじゃ
なかったかと
思われますねえ
長谷が
マッターホルンの
北壁をやったのは
こんどは
単独で
羽生は長谷の
あと2月に
2度目の鬼スラを
やってますね
ええ
やはり
長谷に
刺激されて?
やり
ましたね
もちろん
そうでしょう
単独で鬼スラを
やろうと発想して
それをやってしまう
長谷も長谷だが
そのあとで
また2度目の
鬼スラを
単独でやって
しまう羽生も
羽生ですよ
結局これまで
冬の鬼スラが
撃られたのは3回
撃った人間は
羽生・井上・長谷
の三人きり...
2度
撃ったのは
羽生ただひとり
これは今も
変わっていません
...
そうだったん
ですか...
鬼スラ:
ハッ
ハッ
ハッ
羽生丈夫にとって
唯一の
そして最大の
勲章が
の冬の鬼スラであった
このような人間が
どういう海外の山で
のような実績をあげようが
おれが冬の鬼スラをやった
フッ
それが羽生の心の
よりどころであった
フッ
その心のよりどころを
長谷が奪ったー
長谷は冬の鬼スラを
単独でいとも軽々と
やってのけで
しまったのである
羽生は歯を軋らせて
くやしがったー
長谷が鬼スラをやった
一カ月後
羽生は自らも
単独で鬼スラを塗った
「あの長谷が3度
ビヴァークしたところを羽生は
2度のビヴァークで塗った
一時間では長谷に勝る
羽生は自分の心の内部に
そう言い聞かせていたが、
長谷の単独での冬の鬼スラ
初登攀という事実は
動くものではなかった
そして...そんな羽生の
心の作業をあざわらう
かのように
長谷常雄は
ッターホルン北壁の
冬期単独登攀をやつ
しまった
ハッ
ハッ
おそら!
羽生の鬼スラの記録も
色褪せる
この時に始まったのだ
羽生丈二という天才クライマーが
もうひとりの天才クライマー長谷の雄を
心の中で常に意識しつづけるように
なったのはこの時からである
379年1月の中旬、
あの...
2月から3月
いっぱい休ませて
もらえませんか
えっ?
どこかの山に
入るのか?
...
ええ
まあ
羽生は多田に
休暇を申し入れた
おまえ
長谷がやる前に
先にやろうと
しているのか!?
まさか
グランドジョラスを
やろうってんじゃ
ないだろうな
...
お願いします
行かせて
ください
だめだ
だめだ
3月には
試作品の
テストで
谷川に入る
ことになって
るんだぞ
岳水館の方は
どうなんだ
水野
さんには
話したのか?
まだ
言って
ません
明日お願い
するつもりです
ふうっ
多田さん
なんで
おれにやらせて
くれないん
ですか
...
ちちょっと
まて
それはちがうぞ
羽生
うちが金を出して
長谷にやらせて
いるんじゃない
なんで
うちの会社は
おれじゃなく
他の人間に金を出して
グランドジョラスに
行かせるんですか!?
行くのも
やるのも
長谷だ
長谷が自分で
決心して
自分で
計画して
自分で行く
うちはその長谷に
少しだけ金と
用具を提供
したたけた
うちのような
スポンサーは
他に10社もある
映画会社
TV局・新聞社
食品メーカー
などだ
いいかね
長谷に
スポンサーが
ついたのは
アイガーやマッター
ホルンの実績が
あったからの
ことなんだ
とりあえず
休暇のことは
検討して
みるよ
少し
まってくれ
羽生
...!
わかり
ました
失礼
します
...
羽生は許可を待たずに
『グランドジョラス』を
やめた
岳水館の方は店長の
水野が1カ月の休みを
許可したため、羽生は
動めをやめずにすんだ
1979年2月
羽生は日本を発った
長谷の予定より3日
早い出発だった
ただ「独りの
出発
その遥か雲海の彼方に
羽生室への極限の登録が待ちうけていた
それはーのちに奇蹟の登録と
呼ばれることになる。脱出行くである
神々の山揃第1巻く完
佐藤龍麻子と、会場で漫画の話をした
ー
「神々の山銭遺画版によせて、
もしも、「神々の山鎖」を漫画化する機会があったら、その描き手は谷ロジロー以外には
ないと前から考えていた。
圧倒的な山の最感、禁止の細かなディテール、人物の描写ー「これらを描くことが出来
る描き手は、そう何人もいるわけではない。その、少ない描き手の中で「神々の山袋」を
ぜひ描いていただきたかったのが谷口ジローであった。
もっとも、これはぼくが心の中で思っていたことである。
いつか、機会があったらー
とにかく、ぼくが、会員さんの子解説はずに、どこかの漫画雑誌に売り込むわけにはい
かない。仮に、了解を得たらば、どこかへ食作を持って売り込まねばならない。
もしも、どこかの雑誌から、漫画化の話があり、れば、何があろうと谷口さんでお願いします
うと思っていたのである。
そういう時に、バーティがあった。
朝日新聞でやっている手塚食を、谷口ジロ1枚間加さえ顔体で描いていた「坊っちゃん」
の時代』が受賞したのである、そのバーティである。
この賞の審査員のひとりであったぼくも、バーティに出席した。
この会場に、ぼくと谷口さんんの共通の知り合いである映画画監督の佐藤副麻子がいて、被
女が、神々の山紙・漫画化のきかつけを作ってくれたのである。
夢枕獏
谷ロジローの山の猫女は圧倒的だ
あっという間に話がついてしまった。
佐藤晶麻子が、この縁談を上手にまとめてしまったのである。
こうなったら勢いであり、知り合いの漫画雑誌の編集者に話をしたら、これまたとんと
んと話がまとまって、谷口ジローの「神々の山鎖」の漫画化が実現のはこびとなった。
「もし、谷口さんがやりたいんなら、狭さんはOKなんでしょう?」
「もちろん」
と彼女は言った。
そう思った。
もし、やりたくない話であったら断わりにくいにきまっている。
そういう話を彼女にした。
「ならば、わたしが訊いてあげようか」
その流れの中で、「神々の山嶺。漫画化の話となり
「谷口さんが一番いいと思う」
と佐藤監督は言った。
ぼくと同じ考えであった。
ぼくは、前から自分もそう思っていたことを彼女に告げた。
「じゃ、今、谷口さんがいるんだから、そのお話をしたらいいのにー
と彼女は言った。
それはその通りなのだが、谷Hさんとぼくは知り合いであり、もしも、ぼくからそうい
う話を直接谷口さんにした場合
脚わりにくいのではないが
高度感があって、怖い。
この物語が全巻そろい、谷口ジロー版『神々の山嶽』を通して読んだ時、読者は谷口ジ
ローがどれほど深い仕事をしたか、おもい知らされることとなるであろう。
その時が、分から楽しみである
神々の国語を通して読んだ時、患者は年ほど知らされることなるぞあろう。
1000年十一月二十八日
夢枕荻
だ。
もうひとつの山嶺
空を見上げる。澄みきった蒼が高い。刷毛で掃いたようなうすい雲。鳥が見えた。シル
エットだが、あれはおそらくクマタカだろう。雪原に獲物を捜しているのか、ゆったりと
旋回しながら風に乗っている。
見ていると自分も鳥になってゆく。おれは頭の中で想い描いてみる。重力から逃れ浮遊
する。鳥の眼で山を見る位置で眺める山並み。なんとみっことな銀色のうねりなのだろう。
雪原の輝きで一瞬目がくらみそうになるーー。
雪があると、山はもとの姿よりもずっとすばらしく雄人になる。
丘の向こうに針架樹の森が見ええる。静寂の中、じっと耳えすます。目をこらす。見る。
森と雪原の境目でなにかが動いた。白い。まばゆい日。それは雪の白に滅じる。補色だ。
―ユキウサギかー「ウサぎ」なんて砂を真実なのだろう。いったい誰があっぱたの
か。誰かがそう言えば、そういううものだと誰もが信じてしまううものなのだろうか。言葉と
は不思議なものだと思う。
空のクマタカは眼を摂す。白い世界で眼を閉じ忘れたウサギを狩る。
ーーだしぬけに、あたりの冷気を切り裂き、緊張した気が疾りうぬけた。雪原にクマタカ
の影がコントラスト強くくっきりと映り込む。さらに濃くなる。
タカの潤空。それは鋭く、痛い。目外の唾物のなかでも、飛ぶものの完璧な消先姿を
まる気に乗られる。誰も歩いていない空間だ。けものの足跡さえない。久しぶりの開放感。
山は雪。息が白い。一歩一歩ゆっくりと気ままに変る。カンジキを履いているが膝
谷口ジロー
急ぐ理由などなにもなかった。
勢ほど美しいものはない。おれのぎらついた皮膚に心肌がたつ。鉛色の爪が鈍く反射し、
おれの目を射る。音もなく零城が舞う。
りと旋回するクマダカのシルエットが小さく見えていた。
ふたたび雪腺の真ん中を歩きはじめる。ゆっくりと。殿き慣れたカンジキは墜実だ。身
体と気持ちに必要なパランスを与えてくれる。
ーふぃに幻影は消えた。立ち止まったままあを見上げている。まだ上空には、ゆった
「ビジネスジャンプ」は地元5サードやすい
対派連続されたものを収録しました。
BUSINESSハリMP愛蔵版
神々の山嶺の
2000年12月20日第1期発行
審者
夢枕獏
@Bakuriumenakickira!!
谷口ジロー
©jioToTanguth-2018
知れ
株式会社ホームや
電話乗車は521-265
〒101-8050東京都千代田区・ツ橋2-5-0
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そのためには、
それでも、
皆となります
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彼合明は店せず